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子持ちが優遇される世の中が怖い

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

うちの近所に突然保育園が建設されました。事前に説明も挨拶も一切無く、何度も問い合わせをしても無視されました。これからどうなるのか大変不安です。
最近、こういったマナー知らずの保育園が全国的に増えているそうです。勝手に建設するだけではなく、開所後も保護者たちの路上駐車で住民が悩まされるケースもあるそうです。
しかし、テレビやネット上では、不満を口にする住民の方がわがままだと悪者扱いされることが多く、本当に悔しいです。
現在少子化のため、国が対策に乗り出していますが、その影響で、子持ちが偉いというような風潮が出てきていることが怖いです。
保育園が足りないから建てろ、建てろと親たちが声を荒げ、住民が反発すれば「我慢しろ」と押さえつける。さらに「反対するなら将来老人ホームに入るな。年金をもらうな」と言う声もたくさん聞こえてきます。
私には、親たちが子供を盾にして、自分の欲求と少子化を混同しているようにしか思えないのです。
保育園を増やしても維持費がかかりますし、20~30年もすればそれらの施設は一斉に老朽化していきます。その時の莫大な修繕費や解体費用のことまで考えているのだろうかと疑問に思います。そもそも、子供を介護や年金を支えるための道具のように考えている人が多いことにとても違和感を覚えます。
保育園が無い、無いと騒ぐのではなく、今ある施設をなるべくみんなで譲りあって利用することが本当の愛なのではないでしょうか。
みんなで支え合って子育てすることは大切ですが、だからといって何をしても許されるわけではないと思います。
一部の親たちが、子供を持つことが偉いと誤解してしまったことで、妊婦様、子持ち様、逆マタハラと言葉も出てきたのだと思います。
最近は特に高齢者の事故が増えていますが、それを「老害」と呼び、高齢者を邪魔者扱いする声も聞こえてきます。これまで頑張ってきた高齢者たちが、歳を取ったという理由だけで排除されようとする風潮が辛いです。
私は、子持ちの人だけが偉いのではなく、子供を持たない人も、結婚しない人も、高齢者も、みんなが価値のある世の中であってほしいのです。どうすれば世の中のバランスがうまくとれるようになるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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譲りあいが必要

少子化対策は必要です。
子供ができても働き続けられる社会にするためにも、保育園は必要です。
どこの町にでも保育園は必要です。
あなたの近所にだけ保育園が来て欲しくないと思っても、無理だと思います。
怒りを捨て、慈悲の心で許してあげるしかないと思います。
子供の声が路地裏に聞こえるのが、人間社会の「普通」であり、最近の日本の少子化が異常なので、バランスを取り戻すために保育園が必要なのです。

追記
恐がる必要はないと思いますが、時代の流れ、社会の流行を冷静に見つめることは大事ですね。

あと、本当に反対運動をするなら、町内会長や市会議員など「しかるべきルート」を使って組織的に動く必要があります。
また、保育園から、町内会などには事前に挨拶や説明があった可能性もあります。
「目に見えない」のは恐怖につながります。普段から、町内会など近隣の情報が耳に入る場所とコンタクトをとっておくことも必要でしょうね。
顔と顔がわかる近所付き合いがあれば、無神経な迷惑行為はしにくくなります。
隣近所の付き合いというのも、需要かもしれません。
追記
基本的に、土地所有者が自分の土地に何を建てようと勝手なのかもしれませんが。
保育園は、毎日の送迎が必要な施設です。保育園、ごみ処理場、火葬場などはどこの町にも必要であり、汚染土の処理場と同じようには語れませんが。
汚染土を日本全国に拡散することは、物理的にも経済的にも「効率的かどうか」、これは議論が必要だと思います。
福島県民の方の感情は理解できますが、感情論だけではない「正論」が必要な場面もあると思います。
もしも、全国に分散する方が「効率的」であるなら、反対住民が多少いても、他府県で処理を引き受ける方が良いと思います。
そのあたりは、まさに「政治的判断」が求められますね。
いずれにせよ、怒りの煩悩はストレスにつながります。
子育ての件も、原発事故の件も、デリケートな問題を含みますが、怒りではなく慈悲の心を基本に考えたいですね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かにどこの町にも保育園は必要ですが、施設側や保護者たちのマナー違反を許すことは別問題ではないでしょうか。保育園を建設してほしくないという考えは許されず、その一方で近隣に迷惑をかける保育園や保護者が許されるのはなぜでしょうか。そういった身勝手な保育園や保護者を受け入れることで、世の中のバランスが取れるようになるとはどうしても思えないのです。
私はむしろ、せっかく子供の数が増えても、そのような保育園や保護者の下で育った子供たちが、同じようにマナーを知らない大人になるのではないかと心配です。
子供がいる世の中は当たり前、しかしそのために誰かが犠牲になり、その声も聞いてもらえないというのは違うと感じます。何でも少子化と結びつけて住民を我慢させるのではなく、まずは保育園側や保護者たちが近隣住民に対して感謝の気持ちを持ったり、迷惑をかけないことを約束したりすることが大切なのではないでしょうか。
保育園がたくさん必要だからといって、挨拶も説明もマナーも省かれ、それが許されて当然、住民の気持ちなんてどうでもいい、という世の中の圧力が怖いです。

追記ありがとうございます。「目に見えない」が恐怖につながるのは、おっしゃっる通りだと思います。
私は、近所の保育園建設を、工事の案内看板を見て初めて知りました。町内会にも入っていますが、町内会からも建設の説明は一切無く、完成時期すら知らされていない状態でした。かといって、町内会に連絡を取ったりすると、クレーマーのように思われるのではないか、私のことを噂されるようになるのではと不安に思い、何も言えませんでした。それだけ、世の中には保育園建設に関して、意見してはいけないというような風潮があるからです。そのため、施設側に直接問い合わせをしたところ、無視されたのです。これからお世話になる住民の声を無視するとは、とんでもない行為だったと思います。そもそも、なぜ施設側が何の説明もせず、住民が町内会や施設に問い合わせをしなければならなかったのかが疑問です。こういった保育園が全国的に増えていますが、もし住民を怒らせて、子供たちに何かあったらどう責任をとるのだろうと思います。
何も知らされていないというのは、住民にとって恐怖やストレスでしかないのですが、世間にはその辛さが全く伝わっていないようなのです。
工事中の騒音、振動、土埃も酷かったです。事前の予告なしに突然、道路を通行止めにするような工事をされた日もあります。そういった辛さは、実際に経験した者にしか分からないのだろうと諦めています。しかし、そのような保育園でも、世間から歓迎されるのだろう、住民の気持ちは無かったことにされるのだろうと思うと、やはり住民として本当に悔しいです。
他の住民は無関心なのか、特に反対運動は起きませんでした。というより、近所の子持ちの方々も、普段から挨拶が無かったり、子供を好き勝手に遊ばせて迷惑をかけたりと酷い状態です。少子化問題よりも、子供たちの質のほうが余程心配です。
私はゆとり世代ですので、世間的には何かと馬鹿にされるのですが、こういった状況を目にすると、昭和世代の方こそ、基本的な挨拶やしつけすらできないのかと思ってしまいます。
挨拶も無かった施設と、これから一生どう付き合って行けばよいのかも分かりません。
これから保育園を建設する方々には、もっと住民とのコミュニケーションを大切にしていただきたいと思います。
また、保育園を利用する保護者の方々には、住民に迷惑をかけていないか、住民が何か我慢していることはないか、そういったことを気にかける心の余裕を持っていただければと思います。

もう1つ追記させていただきます。
私は福島県の出身です。震災当時は、他県のたくさんの方々にお世話になりました。
ところが、その後のニュースで、福島県の汚染土の受け入れを他県にお願いしたところ、全ての県に断られたと報道されているのを聞いて、大変ショックを受けました。希望、復興、絆など、たくさんの前向きな言葉をかけていただいていたのに、いざ自分の県に汚染土が来るとなると反対するのだなとむなしくなりました。
保育園に限らず、葬儀場やごみ処理場、汚染土の埋立て地など、どんなに必要なものであっても、それが自分の近所に来るとなると反対するのが人間なのだと思います。しかし、人それぞれ考え方があるでしょうから、それは仕方がないことだと思います。
現在、保育園建設に反対する住民を叩く声がネット上でもたくさん見られますが、それならばその方々に、「ご自宅のそばに福島県の汚染土を受け入れてくださいますか」とお聞きしたいです。もしご自分が受け入れられないのなら、保育園建設に反対する住民を安易に批判するのだけはやめていただきたい、と私はこの場をお借りして強く言いたいです。
保育園が必要、子育てが大事という意見は正論ですが、正論は人を傷つける凶器にもなります。
子育てを理解してもらいたい、女性の社会進出を理解してもらいたいと思うなら、それと同じくらい、住民に対しても理解を示していただきたいです。
子供がいるから偉いというわけではないですので、間違っても、子供のいない夫婦、未婚者、高齢者、住民などを批判するような行為だけは無くなってほしいと願っています。

追記
汚染土だけは別問題、というお考えには違和感を覚えます。政治的にも大丈夫だという判断が下されたからこそ、他県に埋め立てる話が出たのでしょう。しかし、どんなに安全だと証明されても、他県への埋立てが必要だと言われても、おそらく他県の方々は反対なさるでしょう。例え福島県の未来のため、福島県の子供たちのためだと言われても。もしその汚染土を、何の説明もなく突然、自宅そばに埋められることになったら、みなさんは何も聞かず、笑顔で受け入れられるのでしょうか。そして一生涯、その汚染土と共に生活することになったら耐えられるのでしょうか。私は保育園建設問題も、それと一緒だと考えています。もし自分がそうされたらどんな気持ちになるか、その想像力が必要なのだと思います。
もう1つ大事なことを書き忘れました。うちの近所の保育園ですが、もともと目の前の道路で事故がとても多いのです。町内会でもその事実を把握しているのですが、なぜ保育園建設を反対しなかったのかが疑問です。
以前、一般向けの保育園完成見学会が行われたのですが、その翌日も早速、保育園の目の前で衝突事故が起き、警察が対応に追われていました。
事故が多いからと、数年前にカーブミラーが設置されましたが、それでも事故が絶えません。
保育園建設の際、工事の大型車でさえ、住宅街のこの狭い道路をスピードを出して走っていましたので、本当に先が思いやられます。
その土地に何を建てようと、それは持ち主の自由です。それはおっしゃる通りです。しかしそれでは、工事前のご挨拶、引っ越しのご挨拶など、顔を合わせて挨拶をするという日本の文化はもう必要ないという風に聞こえてしまいます。持ち主の自由であるなら、土地の神様にご挨拶する地鎮祭も、これからは不要になってしまうのでしょうか。個人的には、自分の土地だから何をしても良いということは無いと考えています。
勝手に建設するのではなく、住民とよく話し合い、住民の気持ちだけではなく、事故が多いという事実や、今度どうやって対策を行っていくか、そういった大事なことを共有することが必要だったと思います。そういった大事な過程を省かれた以上、もし今後事故が発生し、子供たちが巻き込まれたとしても、もうどうすることもできません。保育園が必要だから建てろ!ではなく、なぜもっと穏やかに「これからお世話になります。ご迷惑をお掛けしないように気をつけますので、よろしくお願いします」と言えないのだろうと疑問に思うばかりです。焦って大事な過程を省くことで、住民と余計なトラブルを起こしてしまうのだと思います。もうこれ以上、このようなモンスター保育園が増えないことを願うばかりです。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

思想が強すぎて苦しい

こんにちは。 以前似たような質問をさせて頂いたのですが手違いで削除してしまい、不躾ながらもう一度質問させて頂きます。 私は思想がかなり強いと思います。 「みんな仲良くなって欲しい」「世界平和」「思いやりと愛があって欲しい」など、恐らく他人から見たら不気味に思うような思想を本気で持っています… 昔から哲学や精神世界的なものを考えるのが好きで、色々考えた結果生まれてしまった思想であり、なかなか変えられません。吹っ切れないと言った方が正しいかもしれません。 そしてこの思想が、人間関係においてとても悪い方向に働いています。 例えば悪いニュースを見た時に加害者の悪口を言う人、それすら否定したくなります。 どうしても「この人にも理由があるかもしれない」と思ってしまい、例え加害者相手でも、悪口を聞くとモヤモヤします。 SNSで晒された人が転落していくのを興味深そうに話す友人、誰かのゴシップで笑う家族、全てモヤモヤしてストレスが溜まります。 最近は人に会う度にモヤモヤするので、誰とも関わりたくない、山にでも篭もりたい気持ちになっています。 平和で、穏やかに生きたいという気持ちのみです。 一緒に悪口で盛り上がり、ゴシップを笑う方が人間関係円滑に回ると思います。 でも顔が引き攣りますし、ストレスが溜まり辛いです。 どうしたら柔軟に受け入れられるでしょうか?

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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