子持ちが優遇される世の中が怖い
うちの近所に突然保育園が建設されました。事前に説明も挨拶も一切無く、何度も問い合わせをしても無視されました。これからどうなるのか大変不安です。
最近、こういったマナー知らずの保育園が全国的に増えているそうです。勝手に建設するだけではなく、開所後も保護者たちの路上駐車で住民が悩まされるケースもあるそうです。
しかし、テレビやネット上では、不満を口にする住民の方がわがままだと悪者扱いされることが多く、本当に悔しいです。
現在少子化のため、国が対策に乗り出していますが、その影響で、子持ちが偉いというような風潮が出てきていることが怖いです。
保育園が足りないから建てろ、建てろと親たちが声を荒げ、住民が反発すれば「我慢しろ」と押さえつける。さらに「反対するなら将来老人ホームに入るな。年金をもらうな」と言う声もたくさん聞こえてきます。
私には、親たちが子供を盾にして、自分の欲求と少子化を混同しているようにしか思えないのです。
保育園を増やしても維持費がかかりますし、20~30年もすればそれらの施設は一斉に老朽化していきます。その時の莫大な修繕費や解体費用のことまで考えているのだろうかと疑問に思います。そもそも、子供を介護や年金を支えるための道具のように考えている人が多いことにとても違和感を覚えます。
保育園が無い、無いと騒ぐのではなく、今ある施設をなるべくみんなで譲りあって利用することが本当の愛なのではないでしょうか。
みんなで支え合って子育てすることは大切ですが、だからといって何をしても許されるわけではないと思います。
一部の親たちが、子供を持つことが偉いと誤解してしまったことで、妊婦様、子持ち様、逆マタハラと言葉も出てきたのだと思います。
最近は特に高齢者の事故が増えていますが、それを「老害」と呼び、高齢者を邪魔者扱いする声も聞こえてきます。これまで頑張ってきた高齢者たちが、歳を取ったという理由だけで排除されようとする風潮が辛いです。
私は、子持ちの人だけが偉いのではなく、子供を持たない人も、結婚しない人も、高齢者も、みんなが価値のある世の中であってほしいのです。どうすれば世の中のバランスがうまくとれるようになるのでしょうか。
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譲りあいが必要
少子化対策は必要です。
子供ができても働き続けられる社会にするためにも、保育園は必要です。
どこの町にでも保育園は必要です。
あなたの近所にだけ保育園が来て欲しくないと思っても、無理だと思います。
怒りを捨て、慈悲の心で許してあげるしかないと思います。
子供の声が路地裏に聞こえるのが、人間社会の「普通」であり、最近の日本の少子化が異常なので、バランスを取り戻すために保育園が必要なのです。
追記
恐がる必要はないと思いますが、時代の流れ、社会の流行を冷静に見つめることは大事ですね。
あと、本当に反対運動をするなら、町内会長や市会議員など「しかるべきルート」を使って組織的に動く必要があります。
また、保育園から、町内会などには事前に挨拶や説明があった可能性もあります。
「目に見えない」のは恐怖につながります。普段から、町内会など近隣の情報が耳に入る場所とコンタクトをとっておくことも必要でしょうね。
顔と顔がわかる近所付き合いがあれば、無神経な迷惑行為はしにくくなります。
隣近所の付き合いというのも、需要かもしれません。
追記
基本的に、土地所有者が自分の土地に何を建てようと勝手なのかもしれませんが。
保育園は、毎日の送迎が必要な施設です。保育園、ごみ処理場、火葬場などはどこの町にも必要であり、汚染土の処理場と同じようには語れませんが。
汚染土を日本全国に拡散することは、物理的にも経済的にも「効率的かどうか」、これは議論が必要だと思います。
福島県民の方の感情は理解できますが、感情論だけではない「正論」が必要な場面もあると思います。
もしも、全国に分散する方が「効率的」であるなら、反対住民が多少いても、他府県で処理を引き受ける方が良いと思います。
そのあたりは、まさに「政治的判断」が求められますね。
いずれにせよ、怒りの煩悩はストレスにつながります。
子育ての件も、原発事故の件も、デリケートな問題を含みますが、怒りではなく慈悲の心を基本に考えたいですね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
確かにどこの町にも保育園は必要ですが、施設側や保護者たちのマナー違反を許すことは別問題ではないでしょうか。保育園を建設してほしくないという考えは許されず、その一方で近隣に迷惑をかける保育園や保護者が許されるのはなぜでしょうか。そういった身勝手な保育園や保護者を受け入れることで、世の中のバランスが取れるようになるとはどうしても思えないのです。
私はむしろ、せっかく子供の数が増えても、そのような保育園や保護者の下で育った子供たちが、同じようにマナーを知らない大人になるのではないかと心配です。
子供がいる世の中は当たり前、しかしそのために誰かが犠牲になり、その声も聞いてもらえないというのは違うと感じます。何でも少子化と結びつけて住民を我慢させるのではなく、まずは保育園側や保護者たちが近隣住民に対して感謝の気持ちを持ったり、迷惑をかけないことを約束したりすることが大切なのではないでしょうか。
保育園がたくさん必要だからといって、挨拶も説明もマナーも省かれ、それが許されて当然、住民の気持ちなんてどうでもいい、という世の中の圧力が怖いです。
追記ありがとうございます。「目に見えない」が恐怖につながるのは、おっしゃっる通りだと思います。
私は、近所の保育園建設を、工事の案内看板を見て初めて知りました。町内会にも入っていますが、町内会からも建設の説明は一切無く、完成時期すら知らされていない状態でした。かといって、町内会に連絡を取ったりすると、クレーマーのように思われるのではないか、私のことを噂されるようになるのではと不安に思い、何も言えませんでした。それだけ、世の中には保育園建設に関して、意見してはいけないというような風潮があるからです。そのため、施設側に直接問い合わせをしたところ、無視されたのです。これからお世話になる住民の声を無視するとは、とんでもない行為だったと思います。そもそも、なぜ施設側が何の説明もせず、住民が町内会や施設に問い合わせをしなければならなかったのかが疑問です。こういった保育園が全国的に増えていますが、もし住民を怒らせて、子供たちに何かあったらどう責任をとるのだろうと思います。
何も知らされていないというのは、住民にとって恐怖やストレスでしかないのですが、世間にはその辛さが全く伝わっていないようなのです。
工事中の騒音、振動、土埃も酷かったです。事前の予告なしに突然、道路を通行止めにするような工事をされた日もあります。そういった辛さは、実際に経験した者にしか分からないのだろうと諦めています。しかし、そのような保育園でも、世間から歓迎されるのだろう、住民の気持ちは無かったことにされるのだろうと思うと、やはり住民として本当に悔しいです。
他の住民は無関心なのか、特に反対運動は起きませんでした。というより、近所の子持ちの方々も、普段から挨拶が無かったり、子供を好き勝手に遊ばせて迷惑をかけたりと酷い状態です。少子化問題よりも、子供たちの質のほうが余程心配です。
私はゆとり世代ですので、世間的には何かと馬鹿にされるのですが、こういった状況を目にすると、昭和世代の方こそ、基本的な挨拶やしつけすらできないのかと思ってしまいます。
挨拶も無かった施設と、これから一生どう付き合って行けばよいのかも分かりません。
これから保育園を建設する方々には、もっと住民とのコミュニケーションを大切にしていただきたいと思います。
また、保育園を利用する保護者の方々には、住民に迷惑をかけていないか、住民が何か我慢していることはないか、そういったことを気にかける心の余裕を持っていただければと思います。
もう1つ追記させていただきます。
私は福島県の出身です。震災当時は、他県のたくさんの方々にお世話になりました。
ところが、その後のニュースで、福島県の汚染土の受け入れを他県にお願いしたところ、全ての県に断られたと報道されているのを聞いて、大変ショックを受けました。希望、復興、絆など、たくさんの前向きな言葉をかけていただいていたのに、いざ自分の県に汚染土が来るとなると反対するのだなとむなしくなりました。
保育園に限らず、葬儀場やごみ処理場、汚染土の埋立て地など、どんなに必要なものであっても、それが自分の近所に来るとなると反対するのが人間なのだと思います。しかし、人それぞれ考え方があるでしょうから、それは仕方がないことだと思います。
現在、保育園建設に反対する住民を叩く声がネット上でもたくさん見られますが、それならばその方々に、「ご自宅のそばに福島県の汚染土を受け入れてくださいますか」とお聞きしたいです。もしご自分が受け入れられないのなら、保育園建設に反対する住民を安易に批判するのだけはやめていただきたい、と私はこの場をお借りして強く言いたいです。
保育園が必要、子育てが大事という意見は正論ですが、正論は人を傷つける凶器にもなります。
子育てを理解してもらいたい、女性の社会進出を理解してもらいたいと思うなら、それと同じくらい、住民に対しても理解を示していただきたいです。
子供がいるから偉いというわけではないですので、間違っても、子供のいない夫婦、未婚者、高齢者、住民などを批判するような行為だけは無くなってほしいと願っています。
追記
汚染土だけは別問題、というお考えには違和感を覚えます。政治的にも大丈夫だという判断が下されたからこそ、他県に埋め立てる話が出たのでしょう。しかし、どんなに安全だと証明されても、他県への埋立てが必要だと言われても、おそらく他県の方々は反対なさるでしょう。例え福島県の未来のため、福島県の子供たちのためだと言われても。もしその汚染土を、何の説明もなく突然、自宅そばに埋められることになったら、みなさんは何も聞かず、笑顔で受け入れられるのでしょうか。そして一生涯、その汚染土と共に生活することになったら耐えられるのでしょうか。私は保育園建設問題も、それと一緒だと考えています。もし自分がそうされたらどんな気持ちになるか、その想像力が必要なのだと思います。
もう1つ大事なことを書き忘れました。うちの近所の保育園ですが、もともと目の前の道路で事故がとても多いのです。町内会でもその事実を把握しているのですが、なぜ保育園建設を反対しなかったのかが疑問です。
以前、一般向けの保育園完成見学会が行われたのですが、その翌日も早速、保育園の目の前で衝突事故が起き、警察が対応に追われていました。
事故が多いからと、数年前にカーブミラーが設置されましたが、それでも事故が絶えません。
保育園建設の際、工事の大型車でさえ、住宅街のこの狭い道路をスピードを出して走っていましたので、本当に先が思いやられます。
その土地に何を建てようと、それは持ち主の自由です。それはおっしゃる通りです。しかしそれでは、工事前のご挨拶、引っ越しのご挨拶など、顔を合わせて挨拶をするという日本の文化はもう必要ないという風に聞こえてしまいます。持ち主の自由であるなら、土地の神様にご挨拶する地鎮祭も、これからは不要になってしまうのでしょうか。個人的には、自分の土地だから何をしても良いということは無いと考えています。
勝手に建設するのではなく、住民とよく話し合い、住民の気持ちだけではなく、事故が多いという事実や、今度どうやって対策を行っていくか、そういった大事なことを共有することが必要だったと思います。そういった大事な過程を省かれた以上、もし今後事故が発生し、子供たちが巻き込まれたとしても、もうどうすることもできません。保育園が必要だから建てろ!ではなく、なぜもっと穏やかに「これからお世話になります。ご迷惑をお掛けしないように気をつけますので、よろしくお願いします」と言えないのだろうと疑問に思うばかりです。焦って大事な過程を省くことで、住民と余計なトラブルを起こしてしまうのだと思います。もうこれ以上、このようなモンスター保育園が増えないことを願うばかりです。