母に感謝したい
母は昔から気が強く、自分の価値観を押し付けるところがありました。
良い学校を出て、良い企業に入り、という所謂、世間受けする人生を強要する程度だったら良かったのですが、趣味やお金の使い方にも口を出してくるので、私はすっかり無趣味で何事にも興味を持たない人間になってしまいました。
私の方でも母に言い返したり、母に何を言われても自分を貫けば良かったのですが、それが出来ませんでした。
その事については自分の責任である事を自覚しています。
しかし、どうしても生き方や価値観を押し付けられたという思いが時々、頭をよぎります。
今でも何かと言葉がキツくてカチンとする時があります。
母自身も祖母に十分な愛情をかけて貰えず、世間受けする窮屈な生き方を強いられてきました。
その点で母自身も私と同じなのです。
還暦を過ぎた母に今更復讐したいなどという気持ちは全くありません。
むしろ、母なりに一生懸命育ててくれた事に純粋に心から感謝したいのですが、頭を母への邪念がよぎります。
この心の葛藤をどのように乗り越えていけば良いのでしょうか?
私は心から母を愛し、感謝できる日が来るのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心より口や身体が先で良い
仏教は人の行いを3つに別けます。身体の行い・言葉の行い・心の行いです。ご質問は「母を愛し、感謝できる日が来るのでしょうか?」ということですが、心で愛し、感謝できるかということですね。
さて、ここからがポイントですが、心を変えたいのに、心構えで立ち向うのは得策ではありません。それはグーに勝つためにめっちゃグー出しているようなものです。あいこでしょ、あいこでしょが続くばかりで泥仕合です。
あえて先に言葉で表現し、身体で表現しましょう。ウソを言ったことにはなりませんよ。だって感謝したい自分と抵抗のある自分の『複雑な気持ち』から出た表現なのですから。その複雑の中にも確実に割合として感謝が混じっているのですよ。まったく感謝がないならこのようなご質問はなさりません。
だから視点としては「どうやったら感謝の気持ちを持つことができるか」ではなく、「どうやったら自分の中にある感謝を活性化できるか」が正しいのです。
どうやったら活性化できるか?感謝するのですよ、身体と口で。そうすると心がちょっとづつ引っ張られてきます。そして感謝パーセンテージと抵抗パーセンテージが逆転するあたりで葛藤そのものが「もういいや!」となってくれたり、何かのはずみで「許せない私メッキ」がボロボロとはがれて自然に感謝だけ残ります。
仏教なんぞこれっぽっちも興味ないお坊さんの卵を、仏教に目覚めさせるためによく使われる手法です。騙されたと思ってやってみて下さい。お母さまだって明日、交通事故で亡くならない保証はどこにもありません。せめて言葉だけでも急ぎましょう。
あなた自身にゆとりができると感謝できる
よしこさま。
こんばんは。
お母様に感謝したいとのこと。すでにお母様の事を受け入れようとされていることが素晴らしいと思います。そして感謝の気持ちは、感謝しようと思ってするものではなく自然に湧きあがってくるものです。
心から感謝できるためには、まずあなた自身が救われなければなりません。
そのために、あなた自身の自我の存在に気付かなければなりません。お母さんのことになると素直になれない。そんな時は必ず心の中に自我が出てきて、そうした感謝の気持ちがあっても邪魔をします。
過去の記憶や今の満足できないあなた自身の人生の責任をどこかでお母さんのせいにしたくなるところがある。まさにそれは、本当に今ある事実と大きくずれた別物であることを知らなくてはなりません。
本当のあなたは、お母さんを受け入れている。あなたの目、耳は問題なくお母さんを見て、話を聞いている。そこに損得善悪を付け足すから分からなくなる。あなた自身の今の生活も問題なくできている。そこに自我を通した思い込みを前に出すから見えなくなる事があるのです。
あなた自身が自分の人生に満足できた時心から感謝ができるのでしょう。
質問者からのお礼
邦元様
アドバイスいただきありがとうございました。
自我の概念、誠に沁み渡りました。
はい。私は恐らく、母を通して自分への自分への不満を感じているのだと思います。
その方が不満の原因を自分のせいにしなくて良いので楽だからです。
この癖を直ぐに直す事は難しいと思います。
しかし、母への不満が頭を擡げた際には邦元様の言葉を思い出したいと思います
大慈様
アドバイスいただきありがとうございました
まずは行動。その通りですね。
母に感謝したいなぁと膝を抱えるより、一言をまず伝える事ですね。
母は家でミシンを30年以上、使っています。
私が高校生のとき、手芸に興味を持った時がありました。
しかし、母はミシンを使用する事にミシンの音がうるさいの部屋が汚れるのと大反対で私はそれ以来ミシンを触った事はありません。
母は今、30年以上使っているボロボロのミシンで洋裁をしており、母の日や誕生日などにプレゼントしてあげようか何度か思いましたが上記の記憶がしこりとなって、買い換えずにきました。
春に母の誕生日があるので、買い換えを提案します。
古いミシンがなくなった時、私のミシンに関する葛藤も消えるかもしれません。