常に「死にたい」人が生きるうえでの心構え
29歳女性です。
子どもの頃からずっと「死にたい」を抱えて生きてきました。
3年程前から、仕事でストレスを感じることが多くなり、心が壊れていくのを感じて数ヶ月前に転職をしました。
新しい職場ではうまくやろうと思い、昔自分が「こうなりたい」と思っていた理想の人になれるよう明るく元気に振る舞っています。
うまくやれると思っていたのですが、だめでした。
どうしようもなく疲れてしまって、何をしていても死にたくて、生きていたくなくて、イライラして、悲しくて、本当にどうしようもなくなってしまいました。
仕事中も集中できず、成果が出せていない状態です。
病院にも行き、カウンセリングを受けました。
それでも結局、自分で自分の気持ちを前向きにできず、お金をかけても無駄だと気付き
治療を諦めました。
死んではいけないことは理解しているのですが、どうしても生きていたくありません。
恋人もいますが、結婚したくないし子どももほしいと思えません。
家庭をもつことに対して、責任をとれないので、別れるつもりでいます。
死んではいけない以上、この死にたい気持ちに折り合いをつけて
絶望しながら無理にでも生きていかないと思っています。
私はこれからもうしばらくの人生、どのような心構えで生きていけば良いのでしょうか。
後ろ向きで重たい言葉ばかり並べてしまい、大変申し訳ありません。
どうか、お力を貸してください。
どうか、助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『理想』なんかいらない。
べつに前向きにならなくても
『適当に生きている』だけで
いいじゃないですか。
「適当に生きる」とはなんだ。
適当なこと言うな、と怒る人もいらっしゃるかもしれません。
でも、『「こうなりたい」と思っていた理想の人』が濱田さんご自身を苦しめているのだとしたら、本末転倒ではないでしょうか。
後ろ向きで重たい言葉を並べたっていいではありませんか。
『私はこれからもうしばらくの人生、どのような心構えで生きていけば良いのでしょうか。』
私でしたら、心構えの要らない一日を過ごしたいと思っています。
花が咲くのは理想を求めているからですか?
鳥が飛ぶのは前向きな気持ちになろうとしているからでしょうか。
風はこうじゃなきゃいけないと思って吹いていますか。
月が美しく浮かぶのは褒められたいからですか。
そうではないはずです。
どのようにしなきゃもなにもないはずです。
それでも
花は人の心を咲かせ、鳥は人に夢を抱かせる。
風は人に季節を知らせ、月は遠き人を想わせる。
彼らはそうしようと思ってそうしているわけではないけれど
そんな力がもともと備わっている。
禅宗のお坊さんは、そんな生き方にならって生活することを学んでいます。
自分自身を責めるまでもなく、素晴らしいものを持っているのだと。
そんなふうに教えてくれるのが禅の世界だと
私は思います。
濱田さんにも、こうしなきゃと思わなくても
元来備わっている力があるはずです。
私たちだって花鳥風月とともにあるのですから。
死にたくなったら、そっと目を向けてみてみませんか。
死にたいと思うのには、必ず何か大事な理由があるはずですから。
それを明らかにしてからでも遅くないと思います。
絶望は、必ずしも悪いことばかりではありません。
「望」は、届かない月に届こうとしてつま先立ちしている様子をあらわしているそうです。
良い言葉ですが、つま先立ちに囚われると心を壊してしまいます。
絶望とは「望みを絶つ」ことではなく
「望みに囚われることをやめる」ことだともいえるのではないでしょうか。
そして理想とは上に向かっていくゴールではなく
いつも私たちの下にあって支えてくれている出発点に
ほかならないと、私は信じています。
どうか、濱田さんにもそう信じていただきたいです。
南無釈迦牟尼仏 合掌