母の死を受け入れられない
また、相談します。同じような内容ですみません😢母が突然死してから一年がたとうとしています。自分にも母を死なせた原因がありいつまでも母に申し訳なく毎晩涙がとまりません。そして、何より夫に申し訳ないのです。色々とやるべきこと考えることあるのですが、どうしても身体がついていきません。夫には、普通の精神状態の人が相応しいのに、私はまた人を不幸にしたくないです。だけど、元気に振る舞えません、心配ばかりかけて夫を気遣うこともできません。消えてなくなりたい気持ちで苦しいです。
長い文章でわかりずらくてすみません😣
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死別を受け入れたとしたら
追伸:御礼メッセージありがとうございました。「前を向けるようになりなりたい」と思うことは大切です。Kuroさんには、その力が備わっているのです。お母さんの笑顔を想いながら一歩ずつ進んでください。再礼
kuro 様 相談ありがとうございます。
大変なご様子が続いているようで、私の回答も上手く機能しないようで、すいません。
どんな形にせよ、死別は誰にでも訪れます。しかしながら、
悲嘆からの解放は、人それぞれで、短期間の人もいれば、ちょっと長い人もいます。
人は、哀しみ、不安、怒り、悔しさ、諦め、と色々な想いが交錯しながら、哀しみから解放されていきます。
ところで、kuroさんは、「死を受け入れられない」と訴えていますが、
その状態を脱して、「死を受け入れられた」とは、どんな状態になることだと
考えたり、思ったり、感じたりしますか?
哀しみを抱えながらも、普段通りに生活できることでしょうか?
少しづつでもいいから笑顔をご主人や家族に出していくことでしょうか?
お母様にたいして、届けられなかった言葉や感情を遺影に、心ゆくまで述べて
感謝を納得するまで伝えられたと思った時でしょうか?
お母様の思いを胸に抱いて、精一杯生きてみようと思えた時でしょうか?
やがて涙が底を打ち、お母様の笑顔を思い出し、それをご主人にも伝えらえた時でしょうか?
Kuroさん、どんな哀しい思いをしてもいいのです。
でも、死別を受け入れて、立ちあがる道筋は、あるのです。
何かしらその道筋が見えてくるものが必ずあるのです。
それがお母様の願いだと私には思えてきています。
一助になれば、と思い回答させていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
質問者からのお礼
何度もお返事くださり本当にありがとうございます🙇優しいお言葉に心が救われる思いとなります、本当に感謝しています。母の死を受け入れるとはどういうことか考えてみましたが、やはり今は答えが見つかりませんでした。それは、こんなに悲しい気持ちがなくなることを想像できないからです。しかし、回答くださいましたようにいつか母の死を受け入れる道筋が見えるように、私なりに生きていかないといけないのだなと思いました。
生きているだけで苦しいですが、この苦しみも生きている証であると思い少しずついつか前を向けるようになりたいです。
本当にありがとうございました✨