すこやかな人間関係を築きたい
生まれてこの方、誰かといて心から幸せに感じたことがありません。私がADHDという発達障害を抱えていることから、言動、行動に眉間にシワを寄せる人の中で生きてきました。何かと怒られ、ジャケにされ、時にいじめられ、それが恐くていつも他人の顔色を疑って、行動を慎むようにしていました。隣の席の子が楽しそうに会話している空気を楽しむことしかできませんでした。ある日自分が絵を書くことが得意だとわかった時、唯一人から認めてもらえ、暖かく接して貰えるようになりましたが、それは所詮私が身につけた技術を賞賛するだけで、私の人格がどうこうという話ではないというのを悟りました。きっけになればとも思いましたがそれも虚しく。周囲の人間がそばにいるのは「描かける私」であって、友達じゃない。だからそれをとったら私は何も無いと思いました。不思議ですが、気を使おうとも神経をすり減らしてまでアプローチをとろうとも、私は仲間、友人というものの縁がありませんでした。好きなことをしていても共感性が低すぎるし、全てが一人で完結してしまうことしか発想をもてませんでした。大人になってもそれが解消されず協力し合うことが下手で、常に相手が失敗した時の保険、裏切ってきた時の保険を用意してしまう自分がなんて惨めな存在なんだろうと自己嫌悪せざるをえません。心が毎年かすれて、萎んで、活力も死んでいくのを感じます。人といるのに疲れ果ててひとりが楽だと逃げてしまう自分が嫌です。今となっては信じられないくらい他人に無関心になってしまいました。友達ゼロ、彼氏なし、わけアリ女。何度自分を殺してくれと思ったか分かりません。仲間が欲しくて歩み寄りたい。しかしそれは本質とズレています。独りという事実を気が狂ったように執着して自己嫌悪する状態を抜け出すことができず、仲間が欲しい1方でこんな地雷女を人に近づけたら相手が傷つくし疲れてしまうと加害妄想が止まりません。この現状から抜け出すすべを、私はもう持っていません。
・自己肯定感の低さ ・悲観的に捉えがち ・仕事の質は愛されても人間として受け入れて貰えないことへの執着 ・自分は嫌われているという事が妄想と現実の区別ができない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんな本があります。
「ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に暮らすための本」
村上由美著
翔泳社、1600円
読んだことあるかもしれないですね。
著者はあなたと同じようです。
もちろん人それぞれ違いますが。
もし読んだことがなかったら読んでみてくださいね。
何かヒントになるかも?しれませんからね。
私は絵の上手い人は尊敬しますよ。
世の中みんなわけあり男わけあり女ばかりですよ。
他人と比べすぎないように、自分らしく生きてくださいね。