hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お坊さんについて

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

私は毎日祈ります。手を合わせ、座禅をし、写経します。
虐待を受けてきた時も、差別や偏見で区別される時も、私の中の煩悩のせいでそう感じるのだと、言い聞かせてきました。ですが、無くならないのです。
私は、悲しいです。なぜいつも差別され偏見を持たれ区別されるのか、わかりません。
僧侶になろうとも思いました。しかし、その世界にも様々なことがあるのを知って、とても悲しい気持ちになりました。誰でもなれるわけではなく、檀家でもない、大学で専門的なことを学んでからどこかで受け入れてもらいなさいと言われたこともありました。
私の親族のお葬式でいろいろなことをたくさん経験しました。
お経を読んでいただき、ありがたい気持ちでいっぱいでしたが、額が少ないとお礼を返され、やりなおされたこともありました。

なぜなのか、この仕組みはなんなのか、教えてください


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「差別や偏見」の具体的な説明がないので、それについてはわかりません。
僧侶になるためには、僧侶の弟子になる必要があります。
落語家になるのも落語家の弟子になる必要がありますよね。それと同じです。
弟子をとるということは、師匠としての責任も生じますから、知らない人をいきなり弟子に迎えることに二の足を踏むお坊さんは多いと思います。
これは、ビジネスの営業マンと同じように、買ってもらえる相手(自分を弟子にしてくれる師匠)がみつかるまで数をあたるしかないかもしれません。
葬儀のお布施が少ないからと返却されるのは、そのお坊さんにも問題がありますね。
ただ、慣例的に「相場の金額」があるのも事実です。地域によってもお寺によっても違います。
結局は、お坊さんも生身の人間であり、個々にさまざまな事情や生活がある人々です。
お坊さんに何かを頼む場合は、人間対人間のリアルな対話が必要です。

追記
重い体験談、ありがとうございます。
私は、児童福祉に関連する仕事もしていました。
児童虐待に対しては、ここ数年で、行政も警察もだいぶ素早く動いてくれるようになったとは思いますが、今でもそのような劣悪な施設が隠れている可能性がありますね。
誰かが告発しない限り、施設内のことはわかりませんし。
ただ、お坊さんにも色々な人がいますので、「数を当たる」必要はあると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お答えありがとうございます。
差別や偏見の具体的な内容ですか?うちは絵にかいたようなド貧乏な家に生まれました。耳の形が亡き祖父に似ているからと父には4歳のころから17歳まで虐待を受けてきました。周りの大人たちは知っていましたが、しつけだと言って関わりたくないと言って助けてもらった記憶は全くありません。スパナで殴られたり、エアガンで足元を打たれ踊れ踊れとされたり、出刃包丁で切りつけられたりしました。盲腸を患い、入院していたときは、父や母には、入院して一人だけ病院食を食べていい気になるなと、手術して5日で強制退院になりました。実家は雪国でしたので冬になれば雪が降りますが、よく靴も履かせてもらえず、ブリーフ一枚で外に出されたまま家に入れてもらえなかってので、ドラム缶のなかで夜を明かしました。理由は耳の形が祖父に似ているからということだけです。ほかの大人に相談すれば関わりたくないといわれるか、私たちが悪い、私たちがお荷物なのでは?と言われました。
しばらくして児童養護施設に入りました。親の本音は、いなくなってほしいとのことでした。児童養護施設でも暴力はなくなりませんでした。理由は、周りより真面目に部活に取り組んで成績を出しているからでした。職員や児童になぜかいきなり殴られたり、職員の派閥争いで無視されたり和に入れてもらえなかったりでした。
夜になると年上の児童から暴力の後の性的虐待を受けました。男子が男子を処理しなくてはならず、私だけでしたが、1日に3人の時もありました。何度も逃げ出しました。でも生きていくすべがないし、結局、脱走犯として捕まり、躾という虐待を受けてきました。

でも、その人たちは、虐待してきたりいじめてきたり性的暴力をする人達は悪くないと思っています。

はけ口がなく、都合のいいはけ口が私なだけ、苦しいけどつらいけど、されてしまう対象になる私が悪いんだ、辞めたければ死ぬしかない、でも死ねない・死ぬ勇気がない、そんな学生時代でした。

社会に出てからは暴力がなくなりましたが、ほかのことが増えました。
人と比べるのが当たり前の社会だったり、言葉ではとてもきれいなんです。一生懸命、丹精込めて、人生かけて・・・裏では・・・ということばかりでした。相手を悪く言ったりと、大人ってこうなんだなって理解していました。
そのことをお坊さんの相談に行きました。私はどう乗り越えたら良いですのか・・・ところが、檀家じゃないからお答えできません、坊主のも限界があります、なんでも頼らないでくださいとのことでした。上のお坊様がそういうのでと、ほかのお坊様もお答えいただけませんでした。仏教には忘故利他という言葉があります。それには檀家という、選ばれた人しかだめなと今でも理解しています。
六波羅蜜の実践でお布施や心の在り方、生き方が認められた人しかだめなんだなって理解したときに、お寺にいてもお坊さんとは一方的な説法しか聞けない理由がなぜか腑に落ちました。信じる者が同じでもいろいろなところに上下が存在する、仏の心理を理解していても人だからフラットには見ていないんだと理解しています。

でも、間違っていると思っています。
どうしてフラットではないのでしょうか。同じ人なら、尚更ではないですか?
富める者は宗教にすら優遇され、貧しいものは冷遇される。それこそ、差別や区別ではないですか?仏さまにすがる、それがわたしの生きがいでした…。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

前住について

こんにちは 「問答」に同様な内容があり、相談していいか悩みました。 たまたま恋愛した方がお寺の長男で2年前に帰省し彼が住職となり私が坊守となりました。私は在家で両親は生前は全くお寺との付き合いをしていなかったので私もお寺の知識はありませんでした。 彼の両親は最初は私との結婚に否定的でしたが、息子が後継ぎとなることで止む無く許してくれたようです。(最初は彼は後継ぎを拒んでいました。) 結婚前に坊守の仕事を全く教えてもらわなかったので、仕事内容を覚えるのに必死な毎日でしたが、前住・前坊守の私への当りがきつく毎日辛いです。 一番辛いのは私の亡くなった両親のことを悪く言われることです。両親が亡くなったとき、嫁ぎ先の宗派(浄土真宗)とは違うお寺(浄土宗)でお葬式・法事をしましたがその事についてひどく非難されます。細かいことを申し上げればきりがないのですが 「だからお前の親はろくな死に方をしなかったんじゃ」と言われ とても悲しかったです。そのことを夫に伝えましたが、そんなこと 聞き流しておけばいいと相手にされませんでした。(もともと、夫と義父は仲が悪いです) 他にも私の態度や色々なことについて罵声を浴びせられ我慢しますが、その度に「ろくな死に方をしなかった」の言葉が思い出され涙が止まりません。 この先も罵声は無くならないと思いますが、その際、私の心をどのように整理していけばよろしいでしょうか。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

導師様の態度について

いくつもの質問にお答えしていただきありがとうございます。また、あけましておめでとうございます。今年もまた質問でご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します。 さて、今回は今までの質問とは違います。先日父方の祖母が亡くなってしまい、家族葬ではありますが出席させて頂きました。 葬式自体は業者の方々が丁寧にしてくださったので、良い別れができたのではないかと思います。 しかし、1つ心残りがあります。それは、お経を唱えてくださった導師様の態度です。通夜、告別式ともに同じ方が来てくださったのですが、どちらの時も読経中に草履で遊んだりマスクの中を掻いたり…また若干眠たそうに読経していました。 葬式のランクは低い方で設定しましたし、家族葬で出席した人数は少ないので、気の抜けるのはあるかもしれません。しかし、そのお経は意味のあるものだったのか、祖母はちゃんと仏様?になることが出来たのか(祖母が浄土真宗だったので)気になります。 父や叔母さんなどは特に何も言わなかったのですが、今回の導師様の読経中の態度は問題なかったのか、また問題あるとすればどうすれば祖母は大丈夫なのかお答えください。 長くなりましたが、どうかお願いします。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

お寺=〇ちゃんねる?

 いつもお世話になっております。最近、思うことがあります。 失礼を承知で単刀直入に申し上げますと、 「お寺の客層(とくに常連)、やべえ」 まるで、「〇ちゃんねる」のようです。まともな人もいますが、 やばい人の方が多いです。  自分より弱そうな信者を探して友だちになる振りをして近づき、 支配下に置いたり利用したり、いじめの標的にするソシオパス サイコパス野郎。  他宗派をバチボコに叩き散らかし、「俺たちこそ特別、俺たち こそルールだ」と言わんばかりの薄っぺらな、説法というのも 噴飯な講釈を垂らす僧侶。  神秘主義に傾倒して、(本来、現実ととことん向き合い、 しんどい事が起きても、物事が成立する条件、環境を 炙り出して現実的に解決していくと説いているはずの)仏教を 捻じ曲げ、拝んでさえいればいいと思い込んで、現実的な 行動を起こそうとしない怠け者。  たたりや呪いのせいにして、努力しようとしない奴。  これでは、ますます仏教が誤解されるばかりです。新興宗教 と大して変わらないじゃん。  他の信者(時にお坊さん)に対してマウンティング、 時代遅れな神秘主義の信奉…  精進努力を誓うはずの道場で正反対の行動に勤しみ、 人格が破綻、結果、現場に蔓延しているのは、妄信、魔境、無明…  ちゃんとしたお寺さんもあるのでしょうが、私が行ったお寺の 数々は、冷静に振り返ってみると、全てこんな感じです。親鸞 さんの気持ちが、痛いほどわかります。  たまにちゃんとした人もいるけれど、基本多いのは、人格が ぶっ壊れたやべー奴。「〇ちゃんねる」かよ。先日など、 「生活保護費が下がるそうね。いいじゃない。みんなの税金で 食べてるんだから、働けるなら働いてもらわないと」 などと平然と抜かした奴がいて、さっきまで相槌を打っていた 信者さんたちが、静まり返るという事態も発生しました。 (ちなみに、障害年金がもらえず、生保を受給して就労準備を している人もいる。こんな発言をする奴が仏教徒だなんて)  最近は、山門や鳥居を潜るのが恥ずかしいくらいです。こんな 奴らと同類かと。  先生方のご高見を拝聴したく存じます。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ