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安楽死について

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度々の質問を失礼致します。
 最近、安楽死に関する映像を観ました。
今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。

 実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。

 安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。

 それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。

 また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。

 生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。
生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…?
苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…?
家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?

 笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。

 安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一考察。

安楽死については、個々に意見が異なると思います。一番は、生死観の違いではないでしょうか。この世限りだという考えと、次の世もある。という考えでは根本的に違います。そして死とは何か。の考え方にもよります。又、とても肉体的に限界がきている状況であれば意見も変わるでしょう。そして、宗教によっても異なるではないでしょうか。

私見となりますので、宗派の考えではありません。いずれどんな人でも、死を迎えますが、どのような最期を迎えるかは個々に違います。たとえば老衰、病気、怪我、事故、災害、自死等の様々な原因はありますが、最後はすべて寿命であると思います。では安楽死は?となります。
又、死というものは、あくまで肉体の変化(消滅)であり、自分自身(意思)が、肉体の限界を悟り、もちろん魂の存在も含め、自ら決めるのではないでしょうか。
安楽死をどのような次元で捉えるか、議論するかによって全く異なったものになると思います。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
確かに苦しんでいる患者ご本人の死生観、信仰している宗教にも寄りますよね…。ただ、信仰されている宗教で自ら死を望むことを禁じられていても肉体的な限界が来ていて本人が生きていることに耐えられないような苦痛を伴う場合は個人的に安楽死を認めるべきだと思います。安楽死について調べている内に精神病を患っていた方で肉体的には健康な方でも安楽死の対象となった方がいることを知ったので肉体だけではなく、精神病も対象にして良いのではないかと感じました。

死の定義については鈴木様の仰る通りだと思いました。安楽死については取り上げる視点で本当に変わってきますね…。

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