本心
お坊さんに謝らなければいけません。
本心は「仏教なんて気休めじゃないか。きれい事じゃないか。」としか最近は思えません。
1ヵ月フルで働いて、残業60時間して8万円しか給与をもらえなかった事ありますか?
「ノーパンノーブラで出勤しなさい。明日の朝チェックします」次の朝、チェックしようとされて泣き叫んだ事はありますか?
熱湯を頭から、かけられた事はありますか?
派遣は汚いと殴られて、毎日「くそ〜、チキショー」言われながら働いた事はありますか?
労働基準監督署も労働局に助けを求めても、まだ罵声を浴びせられました。
仏教が助けてくれない。心底、助けてほしい時、何もならない。
ごめんなさい。
でも、そう思ってしまいます。
ごめんなさい。もう死にたい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
疑問。
”労働基準監督署も労働局に助けを求めても、まだ罵声を浴びせられました”
ま、仏教を疑うのはあなたの勝手だが、申し訳ないけど、あなたの証言こそ、ずっと以前からのものも含めてにわかに信じがたいです。あなたはいつでもどこでも何をしても全面的に、一方的にやられたと、いきなりやられたと、ご自分がまるで通り魔にでも遭ったかのような120%被害者のようにおっしゃるが、労働基準監督署やら何やらに、一体いつもどういう助けの求め方をしているのか。そもそも普段どんな仕事ぶりなのか。行政の担当者が相談者にいきなり罵声を浴びせるだろうか?これだけコンプライアンスのうるさい世の中で、職場の人たちがいきなり罵詈雑言を浴びせたり暴力を振るったりするだろうか?これらの出来事がもし事実なら、それなりに責任ある立場の役職者でさえも理性が吹き飛ぶほど、他ならぬあなたこそが、相手によほどの不愉快な思いをさせているのか、激怒させているのかとも考えられるんだが?
こんばんは。
仏教が気休めできれいごとだと思わせる事になってしまいごめんなさい。ネットでの問答って難しいです。
仏教は、信仰していれば、困ったときにするすると天からカミサマ的な何かが降りてきて困っている人を助けてくれるというそういう教えじゃないのです。私たちは常に思い通りにならない事に囲まれている。その思い通りにならない事に対して、どんな心でいるのか、という教えなのです。また悪い結果に対しその原因をつきとめ、修正し良い結果がでるように精進していこう、っていう教えなんです。助けてくれるのを待つのではなく、自分で考え行動する教えなのです。
あなたはさまざまな問題を抱え大変かとは思いますが、ひとつひとつ、具体的にあなた自身が動いて解決させていくしかないのだと思います。