祖母の死が自分のせいではないか。
今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。
ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。
その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。
入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。
私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。
ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。
おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。
あのときにああしておけば良かったと、後悔することが多々あります。
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おばあ様の気持ちは感謝です。
おばあ様のご逝去にご冥福をお祈り申し上げます。
むらさきさんのご心痛お察し申し上げます。色々と大変であったと存じますが、まずはそのことに対し、お疲れさまでした。
さて、胃ろうにておばあ様の命を長らえておられたことは、たしかに現代医学の進歩でありましょう。私も現代医療の恩恵を頂いている者ですから、それは感謝しております。
しかし、もう一方の考え方をした時には、果たして胃ろうをしながら、おばあ様はいかがだったのでしょうか。本当にそうまでして生かさなれなくてはならなかったのでしょうか。もちろん、長生きできることは、それだけ人生経験を重ねることが出来るから素晴らしいことです。
しかし、早く亡くなることがいけないという訳でもありません。肉体が、充分に、その人の意思を発揮できるなら、どれだけ長生きしても大丈夫だと思いますが、そうではなく、肉体の限界がきており、しかし、死はいけないこと、何が何でも生きなければならない。死はすべて終わってしまうという考えが優先すれば、何が何でも生かさなければならない。ということになります。
これは考え方にもよるかもしれませんし、生死観の違いもあるでしょう。
それぞれの考え方によりますが、今回、おばあ様の為にと、されたことで結果的に亡くなられたと思われれば、永遠に解決はしません。
しかし、どのような原因であれ、人は寿命で亡くなるという大前提に立てば、そして、自ら死を選択するとなれば、たしかにきっかけとなったかもしれませんが、そのことにより、おばあ様は肉体の限界による苦しみからは解放されたのです。
決して、胃ろうはいけないということではありません。しかし、どんなに延命治療をしても限界があり、いつかは亡くなります。
1年間、おばあ様は胃ろうされて延命されました、その間、家族の皆さんも、むらさきさんも多くの経験や体験をされたと思います。おばあ様も同じように経験されました。その事自体に意味があったので、今は、お互い感謝しかないと思います。
ゆえに、むらさきさんも、このことで悩まれない方がいいでしょう。おばあ様も決して、むらさきさんのせいで亡くなったとは思っていません。これから、そう意味で感謝とご供養をお続けください。
質問者からのお礼
非常にご丁寧な、優しいお言葉を頂きありがとうございます。私自身も、くよくよ考えてはいけない、と頭では思っているもの、心では、このことがずっと残っておりました。誰かに、相談したい、背中を押して貰いたいの一心で相談させていただきました。私も祖母からはたくさんのことを教えていただきました。これからは、後悔の気持ちで仏壇に手を合わせるのではなく、感謝の気持ちで手を合わせていこうと思います。ご住職様も、他の方へのコメント拝見させていただきました。病と向き合われているとのこと、どうか、いつまでもお元気でいらっしゃることを願います。また、機会があればお寺へ足を運ばせていただきたいと思います。暖かいお言葉を、本当にありがとうございました。