念仏、念仏言うけど…
地獄に堕ちないためには念仏を唱えたらいいと沢山聞いてきましたが、念仏の効果が発揮されない場合はあるんでしょうか?
地獄堕ちないために念仏を唱えたら極楽に行けることをいいことに悪いことをしながら念仏を唱えるという念仏を悪用する人が出ると思います。
効果が発揮されないことは本当にあるのでしょうか?
発達障害者です、なので色々誤ちは有ると思いますがそれでも頑張って生きます
ただ地獄が怖いです。 なのでここで色々と相談していきます。 怖がってばかりの人生は嫌なのでお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
カラ念仏は行けません
拝読させて頂きました。
信じてないなら効果はありません。仏様を信じていないならばお念仏は仏様には届きません。
仏様救ってくださいと心から信じてお願いしなければ「カラ念仏」ですから効果はありませんので、地獄行きです。
かと言ってやたら悪いことしていいわけではありません、平気で悪いことをするということは仏様のみこころに背くことになります。何でも好き放題してワガママし放題の人はそもそも仏様を信じていないのです。
我欲にまみれて平然と悪事を働くものは自ら成仏の道から遠のいていきますから仏様の教えの真逆の道を選んでいるのです。つまり仏様を信じていないのです。
ですから死後は極楽には行けません、地獄行きです。
つまり自分がどちらを向いているかです。仏様の方を向いているのか、我欲にまみれて沈んでいくのかです。
本当にどちらを自分が望んで求めているかです。仏様はお見通しですからね。
あなたのお心が仏様に真っ直ぐに仏様にお向かいなさり、心から仏様の救いを求めて、そして善に向かっていかれますようにと切に仏様にお祈り申し上げます。
【本願ぼこり】
”極楽に行けることをいいことに悪いことを”
”念仏を悪用する人が出ると思います”
そうなんですよ。
こういうのを【本願ぼこり】といいます。お念仏は効果抜群の割にはやることが簡単過ぎて、どうしても横着をする者があとを絶たない、というのが昔からの大問題でして。おそらくこれは永遠の課題なんだと思います。
「薬あればとて毒をこのむべからず。」
『歎異抄』というお書物によると、薬があるからと言って、わざわざ毒を飲むことはないやろーって浄土真宗の親鸞さんはおっしゃっておられたそうな。しかしながら、親鸞さんが本当に戒めたかった本当の本当に困ったヤツというのは、我こそは清廉潔白の善人だ、自分のような素晴らしい人間こそが極楽浄土に迎え入れられるのにふさわしいのだ、と思い上がっている者なんだ。つまり、本当の本当の本当に困ったヤツというのは、じつは【本願ぼこり】を批判する【善人】ぶっているヤツの方なんだ。
ここらへんの話をしていると、なんだかだんだん申し訳なくなってきて正直へこむ転落院です。大変重要な問題提起をありがとう。
「往生」するための因縁とは何か
kairiさま
全ては、因縁果の理の中にてあり得ているところとなります。
因縁(原因と条件)なくし結果なしであります。
浄土への「往生」という結果へと向けた因縁とは何であるのか、ということは、慎重に吟味して、そして、その内容を調えていくことが大切なところとなります。
もちろん、「悟り」という結果へと向けた因縁についても同様であります。
仏典や論書において説かれてある、往生のための因縁について、是非、ご検討なさられてみて下さいませ。
疑いをなくして、納得して取り組めるかどうかは、仏教における修行の全般に言えるところとなります。
念仏行に関しましては、浄土教の思想に大きな影響を与えることになる論書である「十住毘婆沙論」(伝・龍樹大師著)の「易行品」の内容について考察することで、その背景について知ることができるところになりますので、是非、取り組んでみられますのも。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
カラ念仏ですか…これで一つ詳しくなれました、ありがとうございます。
できる限り善の心を忘れないようにします。
転落院さんありがとうございます、やはりそう簡単にはいかないものですね。