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因果応報でしょうか。

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有り難し有り難し 17

こんばんは。お忙しい中お目を通していただき有り難う御座います。
自分の気持ちが分からず何度か質問をし消し、を繰り返してしまいました。見てくださったお坊さんがいらっしゃいましたら申し訳ありません。

ひとつ悩みを聞いていただけたらと思います。
もうすぐ30歳になる私ですが、幼少期なんの苦労もせずに生きてきました。それなり悩むこともありましたが今となっては笑い話です。
特に両親に恵まれておりました。両親が亡くなったら私も死のうと思っていたくらい両親が私の生きる意味でした。
しかし今年初めて両親よりも大切な人ができその人が寂しくないように長生きしようと生きる意味ができました。死後もその人と一緒にいたいと思える人です。すごくすごく素敵な人です。
その素敵な人の横にいて初めて今まで犯してきた罪がわかるようになりました。
私は家族や周囲の人に甘えすぎていました。犯罪になる罪も数え切れないほど犯してきました。そのことを振り返ると心が痛くて、いつか捕まるのではないかと不安にもなり、今後どんな因果応報が待っているのか怖くて消えたくなります。
しかし両親や彼は私が消えることは望んでいませんので、両親や彼が天寿を全うするまで両親や彼を私が幸せにすることが今、彼らにできる恩返しだと思っています。
また、振り返った際の心の痛みや、死後は彼らと一緒にいられないという辛さ等は私が受けるべき地獄だと思って受け止めながら生きていきます。

そして、今この地獄を受け止め、懺悔し、私にできる善を探し行っていくことで未来は変えられるのではないかと前向きに生きていきたいと考えていますが、犯罪者が前向きな考えを持つこともおこがましいことでしょうか?
また、30歳にしてこんな当たり前のことに気付いてもやり直しはきかないのでしょうか?いまさら懺悔をしても過去傷つけてしまった人たちにはなにも届かないのでしょうか?

乱文失礼しました。
お時間のあるときにお返事をいただけたら幸いです。

2019年10月31日 19:36

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去に上塗りするのでなく、過去そのものを受け止める

ご相談拝読しました。

辛いですね。苦しいですね。でもそれは今のあなたが生きることに誠実であろうとすることからくるものだと文章から伝わってきます。これからどうするか、どうあろうとするのかを一緒に考えていきましょう。

まず厳しいを申し上げれば人生やり直しはききません。それは「過去はなかったことにはならない」という意味においてです。

今あなたが苦しんでいるのも過去の自身の行いによってでしょう?それがおっしゃる通り因果応報です。因果応報とは罰が当たるとかそういう意味でなく、結果には原因があるという意味です。今の自分は過去の自分と無関係ではあり得ません。

それでは救いはないかと言うとそんなことはありません。では、過去がなくならない以上救いはどこにあるでしょうか?

薄々気づいておられると思いますが、それは過去から逃げたりかくしたりごまかしたりするような在り方でなく、「これが私であった」と過去を引き受けることです。苦しみはそれを避けるのではなく、我が事ととして引き受けるところに、苦は苦でありつつも活かされてくる道が開けてくるのです。

別に過去の出来事をベラベラ話す必要はありません。あなた自身の在り方として過去の自分を自分として逃げも隠れもせず受け入れ認めるのです。
もしも彼と信頼関係ができて、どうしても話さずにはなたが今のあなたでいられないようであったら彼には話すのもよいでしょう。それを彼がどう受け取るかは彼の問題であり思い通りになりませんが、あなたがあなたでいるために必要ならばそれも避けられません。

前向きな考えをもつことはおこがましいことではありません。大切な事です。ですがそれが過去に上書きにし、フタをしようとするようなものであっては過去がくすぶるだけです。

「こんな罪深い私であった」という受け止めはあなたのこれからを変え、さらには過去のとらえ方をもかえることと期待します。

死後の問題は宗教的にもう一歩踏み込んだ問題で字数が足りませんが、地獄は地獄への恐れの問題をごまかしたままで天国や浄土に生まれることを盲信することが本当の解決ではありません。
逆説的ですが、地獄に生まれても後悔はないというところにこそ、誰もが共に生まれ出会っていけるような世界が感得されるものです。

その死後の問題はあなたの今の問題と無関係ではないのです。今こそ救われましょう。

2019年10月31日 22:35
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

吉武文法様
お忙しい中目を通していただき、また、見ず知らずの私のために一緒に考えてくださり本当にありがとうございます。
お返事をいただいてから私なりに色々考えました。そのためお礼が遅くなり申し訳ありません。
過去のことについては、例えば、嘘をついたという罪があるので、今後は嘘をつかない。等過去犯してしまった罪は今後は絶対にいたしませんし、犯してしまったことは決して忘れず今後に活かします。
しかし地獄に関しては私にはまだ難しく、罪を犯したことを分かってはいながらもやはり地獄に行くのは怖いと思ってしまいます。地獄が怖いというより極楽へ行く家族や彼と離れることが怖くてたまりません。吉武文法様がおっしゃってくれたことを理解できるように日々誠実に過ごしていきたいと思います。
本当にありがとうございます。

「因果応報」問答一覧

因果応報なのでしょうか

私は3年前に夫がいるにも関わらず、既婚者の男性と不倫をしておりました。私の妊娠を機にお互いの配偶者に知られる前に別れ、現在は別々の道を歩んでいるところでした。 少し前に人づてに聞いたのですが、彼が奥様と不妊治療の末待望のお子様を授かったようです。しかし、臨月にお腹の中でお子様の心臓が止まってしまい死産をされたというとても悲しいお話でした。 奥様も彼もとても傷ついていると思います。そして、これは私との不倫による因果応報なのでは、と思うようになり、過去の不貞により元々夫と子供に対して罪悪感はありましたが、その話を聞いてから毎日毎日私のせいだ、という罪悪感で頭を支配されています。親が行った悪行は子に返る、と聞いたことがあります。私と関係を持っていなければ彼の子は元気に生まれてきたのではないか、私はなんてことをしてしまったのかと、日々苦しくて仕方ありません。また、私の子供にも何か起きたらと恐怖心が付き纏います。私は今、幸せです。でも幸せになってはいけないのではないかと感じます。もう一生心から笑えることはないのではないかと感じます。こんな母親で、こんな妻でいいのか。奥様の気持ちを考えると死にたくなります。私はこれからどのように生きていけばよいのでしょうか。

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いじめた罪悪感と因果応報

長文失礼します。  私は小学生の頃、いじめをしてしまいました。掃除場所が一緒になった男子生徒で、その子は私と同じクラスでした。(A君と呼ぶことにします)  最初は普通に仲良く話していました。しかし、しばらくして同じ掃除場所の女の子たちがA君をゴミ呼ばわりするようになりました。  わたしはそれに便乗してゴミと呼ぶようになり、挙げ句の果てにA君に丸めた帽子を投げつけました。それも二回も。 A君は当然怒り、私に足払いをかけました。そのため私は転倒し、びっくりしたため、以来彼とは話していません。   その後、私はクラス内で人間関係がうまくいかなくなり、クラス中から露骨に嫌われた態度を取られるようになりました。( 私が配膳したお椀を受け取らなかったり、ふきん係で机を拭こうとしたら拭かれたくもないからいいと言われたり)  中学に入ってからも、特に何もしていないのに悪口を言われたり、気持ち悪いと机を離されたりしました。途中家の都合で転校しましたが、転校先でも悪口を言われました。  高校に入ってから、ようやく悪口と嫌がらせがなくなりました。が、最近過去のことを思い出すようになり、私があの時いじめてしまったから、因果応報で私もいじめを受けたのではないかと考え、後悔でいっぱいの気持ちになります。  受験ストレスもあるせいか、ずっと憂鬱な気分です。あの時謝ればよかったのですが、転校のためもう会う機会はありません。  正直辛いです。どうしたらいいのでしょうか。

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因果応報の手前勝手な解釈が蔓延った理由

結果には原因があり、それは等しく誰にでもあるものですが、巷にはあれだけ悪いことをしたのだから、因果応報であいつは不幸になるよと言う嘘がまかり通っています。 元々自分を高めるための思想であった、因果応報が相手に不幸が訪れることを望むような因果応報に何と言うか劣化しています。 物事すべては原因があって結果がある。 その程度の意味であるはずの因果応報が、いつの間にか善行や悪行と言った、その時代にあった、変化のある価値観に毒されるとこで本来の意味を失っている気がします。 絶対善や絶対悪が無い中、意味のない独りよがりの善行に縛られ、生きることに本来の因果応報はないのではないかと考えています。やったことの責任や、今の状態に対する責任は自分でとれよと言う程度だとの認識です。 悪行を重ねようとも、幸せな人間はたくさんいますし、善行を重ねようが不幸な人間はたくさんいます。結局のところそれが身の丈にあった選択であったかと言うことに尽きます。心の持ちよう一つです。 誰かを助けて食うに困りそれが不幸だと思えば不幸ですし、誰かを騙し、殺し、奪いしてもそれで幸せだと感じる気持ちがあれば、幸せです。 自分を気持ち的に制御するのは自分。 なので因果応報の意味がああ恣意的に解釈されるようになった理由が非常に不思議です。 因果応報で相手が不幸になる的な、本当になんの論理性もない風説が流布された理由をご存知の方がいたら教えてください。

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