家畜を殺すことへの向き合い方
初めて投稿します。
拙い文章ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
先日競馬場に行く機会がありました。
その時偶然馬が、レース中に骨折し、直後に安楽死措置がとられました。
勿論幔幕は張られていましたが、一部始終を見てショックを受け、頭から離れなくなってしまいました。
同行者からは、馬は走れなくなると生きられないんだよと教えられ、自分でもインターネットで馬の安楽死措置について調べました。
実際に馬にかかわる仕事をしている方の意見を知り、馬にとっての骨折が人間のそれとは違い、命に関わる事なのだとも知り、「骨折しただけで殺すなんて!」と安易に言うことは、また違うのかなと思うようにもなりました。
しかしどうしても、競技馬として産まれなければもっと穏やかに暮らせたかもしれないのに…と消化しきれていない自分がいます。
無茶苦茶なことを言っているのは承知しています。
毎日魚もお肉も美味しいと思って食べているし、スーパーで売られているお肉の塊の背景を考えることもありません。可哀想ともあまり感じません。
私の知らないところで毎日沢山の動物が殺されているけれど、私は今回たまたま目の前で死をリアルに感じたから感情を動かされているのであって、それを知らなければ何とも思っていませんでした。
だからってベジタリアンになるのも違うと思います。
きっと大切なのは、その事実をきちんと受け止め、感謝することですよね。
私は今回の気持ちとどう向き合って、これから付き合っていけば良いのでしょうか。
まとまりのない文章で申し訳ございません。
是非教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たしかに競走馬じゃないと骨折することもなく穏やかに生きることができたのかもしれません。
しかしおそらく、その馬はその縁だからこそ産まれることができたともいえます。
競走馬としてじゃないとこの世に産まれてすらいないことでしょう。
そう考えるとたとえ短い時間でも馬として走ることができたのですから、もしかしたら幸せだったのかもしれません。
果たしてその馬はどう思ったのでしょう。
私達には知る由もありませんが。
また私たちも同じことです。
この家に生まれなければよかったとか、この親に生まれなければよかったとか思っても、そもそもこの家この親だからこそ生まれて来れたのであって、何か違えば生まれてきていないのです。
この世の中は理不尽で納得のいかないことがたくさんありますね。
その中で私達には私達にできることを今この時にやっていくことしかないのだと思います。
食材ロスを減らしたり、必要以上に食べ過ぎないようにしたり、バランス良く食事したり、ペットを飼う時は先ずは里親を探しているペットがいないか調べたり。
ベジタリアンも悪いことではありませんよ。
ただ必要な栄養が不足しないように気をつけて臨機応変に対応しましょうね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
戴いたお言葉、本当にはっとしました。
自分の価値観で2年という生涯を短いと勝手に考えておりましたが、その馬からしたら有意義な2年だったのかもしれないと。
今私に出来ることも実践していこうと思います。
考え方の角度が変わり、気持ちがとても楽になりました。
貴重なお話、大変感謝致します。