普勧坐禅儀のままじゃないのはなぜ?
普勧坐禅儀にある「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う」という文について質問です。
「坐禅の際には座布団などを敷き、その上に蒲団を置く」ということですが、
実際に座布団などを敷いて坐禅をしている曹洞宗のお坊さんをほとんど見かけたことがありません。
大本山である永平寺でも座布団などは使用しないようですが、
なぜ普勧坐禅儀の通り忠実に行じないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
追記しました
こんにちは。なんででしょうねぇ。私も常々不思議に思っていました。良い機会なので調べてみようとネットを当たりましたが出てこないですねぇ。今少しお坊さん仲間に聞いてみましたところ、座布団を敷いてその上に坐布をおいて坐るお寺さんもあるよ、という話がでてきました。座布団を敷かないのは財政面の都合ではないか、という意見もありました。時代の流れで不要という事になり、なくなったのかもしれません。結局わからないです。すみません。どちらにしても、大切なのはそこじゃないんだと思います。もちろん形は大事ですが、中身ね。普勧坐禅儀なら「坐定して、箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。非思量。此れすなわち坐禅の要術なり。」の部分。うまく解説をつけられませんが、こっちが大事なのだと思います。
追記します。
一緒に修行した仲間からの情報(に、わかりやすいように私が説明を加えました)です。
普勧坐禅儀の件ですが、橋本恵光老師(1890-1965)の著書によると、
「布団」とは「坐布」(黒くて丸いもの)の事を指しているそうです。
「坐物」は、おそらく昔は畳がないところで坐禅をしていたため厚く布をひいたのではないかとありました。
道元禅師の坐禅は苦行ではないという思いも入っているのではないかとありました。
因みに坐禅用心記(瑩山禅師著)には布団の記述はありますが、坐物の記述はなかったので、その頃には畳の上で坐禅をすることが一般的になったのかもしれないと思いました。
以上の情報がありました。
前回の回答で「時代の流れで」とお答えしましたが、畳ができたことで「坐物」が不要になった、といったところでしょうか。
質問者からのお礼
色々と調べてくださり本当にありがとうございます。
私も一度、座布団を使用する坐禅会に参加したことがあるのですが、
後になって「なぜ同じ曹洞宗で座布団が有ったり無かったりするの?」と
疑問に思って普勧坐禅儀を見直してみた次第です。
たしかに財政面や時代の流れというのもあるかもしれませんね。
貴重なご意見ありがとうございます。
光禪様の仰る通り、形も大事ですが中身も大事ですね。
あまり細かいことに執著せず日々精進いたします。
追記ありがとうございます。とても詳しい情報恐れ入ります。
「畳があって当然」である今の時代とは違う、というのは気づきませんでした。
畳の歴史を調べてみると、鎌倉時代にはまだ一般には普及しておらず上流階級に普及し始めた程度のようでした。
つまり道元禅師は普勧坐禅儀をその時代の一般向けに著されたということですね。
板の間じゃ痛いから何か敷きましょう、と。
ずっとモヤモヤしていた疑問が晴れました。
本当にありがとうございました。