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慢性的に空しくなる人向けの教えを知りたい

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こんにちは、質問失礼致します。

タイトルの通りですが、私は慢性的に些細なことで切なくなったり空しくなったりします。
主に過去に犯した過ち(人と仲たがいした経験、感情任せの言葉など)がふと浮かんできてしまって、「私は駄目な奴だ」「生きている価値がない」と思ってしまうのです
そんなことがないのは分かっているのですが、一度思ってしまうとその時はその考えから抜けられず、それが慢性化した今、平常時での自分を愛する力が人より劣っているように感じます。

自分より優秀な人しかいないという考えは、私の首を絞めています。
生きるためのあらゆる気力をそいでいるように感じます。

嫌な考えが頭によぎるとき、なるだけ考えないようにとするのですが、なかなか気がそれず苦しみます。何か解決できるような考えや仏教的な教えはありませんでしょうか?

よろしくお願いいたします


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

廻(めぐり)さま

仏教では「中道」という教えを説きます。

中道とは、バランスがうまくとれているというイメージであります。

虚無・悲観主義と欲望・快楽主義の両極端を避けるという感じとなります。

仏教的には、中道の教えとして「空と縁起」というあり方がございます。

「空」とは、一切には実体が無い、そのモノをそのモノ足らしめているような独立自存的なもの、永久永遠に変わらないようなものはあり得ないということを申します。「無我」、「無常」などとしても説明されます。

一方で、「縁起」とは、一切のモノ・コトは、「縁って起こっている」として、色々な因縁(原因と条件)に依りて成り立っているものであるとして説明されます。簡単には、モノ・コトは色々な依存関係によってあり得ているということになります。

モノ・コトには実体があるとして、その実体に囚われを起こすことで、様々な煩悩が起こり、それゆえに私たちは迷い苦しむことになります。欲望や快楽に囚われを起こしてしまうのも、そこが原因となります。

ですので、「空」を理解することによって、欲望・快楽主義を避けることができるようになります。

一方で、モノ・コトは、何も無いのではなく、確かにそれらはあり得ています。そのありようが「縁起」としてであることを理解して、虚無・悲観主義を避けるのが望まれるところとなります。

さて、貴女さまは、過去のことに囚われを起こして、それがあたかも実体としてあるかの如くに捉えてしまっている可能性があります。

そう捉えてしまったのは、確かに縁起的にあったことでしょうが、実体としてではなく、縁起的にあり得ているものは、縁起的に変わっていく、あるいは変えていくことができるものでもあります。

善き因縁によれば、当然に脱せられるものとなります。今でもその嫌な思い出、嫌な考えが浮かんでしまうのは仕方がありませんが、そのままとせずに、因縁によって変えていけるものとして、日常の少しの事からでも善き因縁を積む努力をなさられて頂ければ、きっとやがては善き結果が得られるいくものとなるでしょう。

その善き因縁の具体的な積み方が説かれてあるのが仏教でございます。

是非、仏教を学び修していって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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