心を定めたい
はじめまして。
お手数ですが私の現状はプロフィールをご覧下さい。
私の履歴を見て甘ったれと思う方、思わない方、もっと後がない方、健康・成功体験・お金・愛に恵まれた方、これから試練がある方、越えた方、世の中には様々な人がおられます。
新しい障害が判ったいま、上記の人々と比べず「ただ、今の私が在ること」だけ抱いて前を向こうと思っています。
具体的には障害者雇用をあたること、家族関係を見つめることなどです。
これらを心から思っているのに、不安と怖れから死んで逃げ出したい心も襲ってきます。
今更やり直せるのか、母から奪ったものを返せるのか。
私の場合、脳に依らない自我というものが判然としないせいかもしれません。
どうすれば腹が据わるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心は移ろいやすくて
こんにちは。プロフィールも読ませていただきました。その上で、貴女は今、状況を理解し、落ち着いて文章を書かれていることを感じました。
さて、「心を〜」とおっしゃりつつ、最後に「腹を据えて」と書かれていることは、とても正しいと思います。心というのは確かにあるようですが、私も実体として目にすることもありませんし、きっと文字が書かれている訳でもないのだろうと思います。また、いろんな心が浮かんでは消えしているのが、私の知る「心の姿」です。
ですので、せめて整える・据えるのであれば体を使った行為でもって考えるのが近道であろうと思います。
私は浄土宗ですので、朝のお念仏をいたします。前日どんなに自分が情けなく、「俺にできることはないのかも。俺は他人を傷つけてばかりなのかも」と思っても、朝のお念仏は「できるし、他人を傷つけることでもない」ゆえ、「できることがある」のです。お念仏しながら「今日も私はお念仏してもいいのだ。できること・やれることがあるのだ」と自分に言い聞かせます。
すると、不思議なことに「さぁ、立ち上がって行こう」という気持ちが出てきます。まぁ足が痛くなるからかも知れません(笑)。多分、パソコンで言う「再起動する」プロセスに近いのではないか、とか考えたりします。スマホでもありますね。あれ、使う側から見れば「早く準備完了してよ〜」程度ですけれど、本人(本体)にとっては「これから働くための準備を整えている」大切な時間です。
ということで、2分でも3分でもお念仏して、「さぁ、私にはできることがある。それと出会えたらいいなぁ」と思いながら立ち上がり、一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。