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婚約した彼の突然の死。生きる糧が欲しい。

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有り難し有り難し 15

先日、長年お付き合いをしていた彼が急性の病で亡くなってしまいました。
亡くなる前のデートで、「来年には籍を入れよう」とずっと待ち焦がれていた言葉をくれていました。

私たちは付き合いも長いですが、本当に仲良しで、喧嘩も少なく、レスもなく、本当に愛し合っていました。

まだ同棲はしていませんでしたので、やっと毎日一緒に暮らせると思っていた矢先、彼は倒れ、帰らぬ人に。
ご家族からお話を聞いた時には、信じられなくて。
何かの悪い夢か、嘘なんじゃないかと。

奇しくも、告別式は私たちの記念日でした。
十何年目の記念日が、お別れの日になってしまいました。

今、すごく会いたいです。
悲しいです。

この辛い今を生きる糧として、彼の赤ちゃんが欲しい。
何か奇跡が起きて赤ちゃんができないか…。
赤ちゃんにはその分、たっぷり愛情を注ぎたい。
赤ちゃんができているかは分かりません。
これは私の願いです。

次の生理が来るのも怖い。
来ないで欲しい。
私に生きる力を与えてくれる生命が宿ってくれないか、願ってしまいます。

本当に彼のいなくなってしまったこの世界に生きることが辛いです。
食事を取るのも悪に感じます。

彼はどんなに苦しかったか。
悔しかったか。
彼は死んでしまう前に、私へメッセージを最後の力で残してくれました。
そこには私への気持ちで溢れていました。
苦しい時に私を想ってくれたこと、本当に嬉しくて。本当に悲しくて。

なるべく早く彼の元に行きたいと願ってしまいます。
私は、彼のいないこの世界で何も頑張ることができません。
これまで生きてきて、早く死にたいと願うなんて初めてです。

自死はできない。
自死は彼も悲しませるし、私の家族も友人たちも悲しませてしまうから。
私も彼と同じ病で同じ苦しみを味わい、死にたいです。

本当にまだ彼のこと愛しています。大好きです。
私はこれから何を糧に生きれば良いのか。見つかるのでしょうか。

苦しいです。
まだまだ修行の足りない私にアドバイスをいただければ幸いです。

2019年11月14日 22:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

グリーフケアを受けてみてください。

ゆき 様 哀しみの中、相談投稿ありがとうございます。

まずは、彼のご冥福をお祈り申し上げます。
愛する人との突然の別れ。哀しく辛いですね。胸が締め付けらるような感じかもしれませんし、死んで彼の処へ行きたいという感情もあるでしょうね。
本当にそのような気持ち・感情になってしまうことは、仕方のない事だと思います。それほど、お二人は愛し合っていたという事ですから。
泣くだけ泣いてください。
哀しみをベースに気持ちの混乱・死を認めたくないという否認・なんで私を置いてという怒り・落ち込んでしまう抑うつ・どうしようもない思いの諦め・そこからやや抜け出して生きる糧を望む転換・そして少しの希望が持てるようになる再生へと、心は移っていくようです。このような心の揺れを順番通りでなく、行ったり来たりしながら。

まだ、ゆきさんは混乱の状態かな?
そんな時は、誰かに気持ちを聴いて貰ってください。彼との共通の友人でもいいし、グリーフケアをするカウンセラーや僧侶に傾聴してもらってください。
最近はネットで通える範囲のカウンセラーや僧侶を探せると思います。
温かく寄り添ってもらえる方が良いと思います。
苦しい思いを受け止めてもらってください。
そして、
(ここからは、ゆきさんの投稿を読んだ私の想いです。気に障るようでしたら流してください。)
ゆきさんあなたは、修行が足りないのではないのです。
彼に向かう愛情がしっかりあるのです。
彼とともに育んだ、愛情・優しさ・心の温かさ・思いやり、などなど
そんなことを心の奥底から感じてみませんか。思い出すだけではなく、深くゆっくりとした呼吸をして感じるのです。
寂しくて泣いて泣き切って、でもその先は、光が差し込んだような、愛情あふれる優しさに包まれるはずです。心の中に居るのだから。

お読みいただきありがとうございました。
一助になれば良いかと思います。
一礼

2019年11月15日 21:57
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...

質問者からのお礼

釋 孝修 様

温かいお言葉をいただき、ありがとうございます。

実は、彼のご家族の方が心配してくださり、分骨をしていただいたのです。
本当に優しくて素晴らしい方々です。

(私は実家住まいなのですが、)
今、実家のお仏壇に彼はいます。
ちょうど祖父の月命日で、お坊様がいらっしゃいました。

彼と私の家は偶然にも同じ宗派でした。
そして、お坊様がこられた日がちょうど初七日でした。
初七日のお経を上げてくださり、彼のお話も聞いていただきました。少し癒されたような気がしております。

本当に彼とは、ご縁を感じるようなことが沢山ありますのに、これは運命だと疑わなかったのに、こんなにも早いお別れになってしまったことが辛く、残酷に感じます。

悲しくて悲しくて、どれだけ泣いても涙は枯れません。
一昨日の夜に夢に彼が来てくれました。
困ったような顔でごめんね、と。
私が立ち直らないと自分のせいで苦しんでいると思う彼も辛いのだと感じました。

悲しみの沼から這い上がることはなかなかできませんが、彼の死と向き合い、彼を想いながら、少しずつ私なりに生きていけるようにしたいと思います。

ありがとうございます。

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

有り難し有り難し 12
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父親の死と子供の心のケア

初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。 ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか? 私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 12
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大好きな祖父の死が受け入れられません

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有り難し有り難し 13
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友人の死を乗り越える

以前、親友の死について質問をさせて頂きました。そこにあった彼女の死から学び自分らしく生きていくことが大切だというご解答がとても心に響き、前向きに生きてきたつもりです。 しかし、今になってまた彼女を失った悲しみが押し寄せてきて辛いです。 もう3年も経つのに、一時は気持ちが落ち着いていたのにおかしいでしょうか。 彼女の携帯は動いていないのですが、SNSのアカウントが残っているので最近は連日そこにメッセージを送っては涙しています。もちろん既読になることはないのですが、近況を報告したりすると少し気持ちが落ち着くと同時にもういないんだということを再認識して辛いです。 こんなことはやめたほうがいいのは分かっているのですが、どこかまだ受け入れられていないのかもしれません。 さらに、最近また子供を授かることができました。そのことを親友に報告したかったという気持ちが大きいような気がします。 赤ちゃんが部屋の中を見回してニコニコしているのを見るともしかして会いにきてるんじゃないかと思い嬉しいと同時に悲しくなってしまい、涙が出てしまいます。 夜中にお墓参りに行けば会えるんじゃないかなど馬鹿なことを考えて主人を困らせることもありました。子育ては楽しいし、普段の生活は明るく過ごせていると思います。ふとした時に気持ちが落ち込んでしまうのです。 何度も繰り返すこと辛い気持ちは乗り越えることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 2
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叔母の死が心に引っかかっています

今年の三月に、お一人様だった叔母がガンで亡くなりました。 彼女は海外生活が長かった為、自己主張が激しく、他人への接し方も物凄く厳しかった上に人の悪口ばかりを言う人だったので、周囲の人達から避けられていました。また、実姉である私の母とも会えば直ぐケンカになってしまう事が多かった為、彼女一人では出来ない身辺の世話は、長年私の役割になっていました。 (私が思春期に入る頃に別の病気で帰国してきた時は勉強面でこちらがお世話になることが多かったのですが、こっちもこっちで反抗期だったのでやはり喧嘩の繰り返し…。落ち着いて接し合う事が出来るようになったのは、私が大学生になって彼女への接し方を学んできた頃からだったと思います。 クリスマスにはお手製のディナーを振る舞ってくれたり、紫陽花の季節には一緒に遠出をしたりと、いい思い出もだんだん作れるようになっていました。) ですが、8年前にガンが発覚して (たまたま私が家を訪ねた時に物凄く体調を崩している姿を発見し、「このまま死にたい」という彼女を泊まり込みで1ヶ月掛けて説得して病院につれていきました) 以降、入院中はほぼ毎日病院に通い、退院しても診察の度に病院まで送り迎えをし…。彼女がだんだんと弱っていくさまを一番近くで見ていました。昨年春に余命宣告された時には涙が溢れて止まりませんでした。 病状が悪化してからも、彼女は先述の通り我が強かったので、在宅介護の方に説得されても頑なに意思を曲げず最期まで自宅にいる事を選びました。最期の日、意識のあるうちに「私の叔母さんでいてくれてありがとう。大好きよ」とお別れをしました。 そして、息を引き取ったあとは、彼女から生前言われていたとおりの手はずを整えて葬儀も終えました。 …なので、何もかもを完璧に終えたはずなんです。終えたはずなんですが、私だけがまだ、叔母の死を受け入れきれてない気がするんです。 叔母が好きそうな猫のグッズを見つけたり、よく一緒に行った場所へ行ったり、出かけるために車の運転席に座ったり…。そんな一瞬にさえも、叔母の存在を思い出してしまって、なんとも言えない気持ちになってしまうのです。 他の人はもう、彼女の死を受け入れて前へ進んでいるのに、このままでは私だけが取り残されてしまったままになってしまう様な気がして、不安でなりません。どうしたら、私も前向きになれるのでしょうか…

有り難し有り難し 6
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父の死

回答頂けたらありがたいです。 先日、離れて暮らす74歳の父が4ヶ月間の闘病の末亡くなりました。白血病でした。 入院後すぐに医師から余命数週間から数ヶ月と家族だけに宣告され父に悟られないように平常心で接してきました。 父は「来年は~」と未来の話をしたりして私達家族は「そうだね!早く治さないとね」と苦しくて胸が張り裂けそうになりながら嘘をついて父を励ましていました。 変に優しくしたら悟られると思い4ヵ月の間お見舞いには行くものの、いつも通りの素っ気ない態度を取ったり、車で片道1時間半の病院だったのもあり毎日はお見舞いに行けず、でも毎日行っておけば良かったとか、もっとありがとうの言葉を伝えれば良かった、お父さん大好きだよって伝えれば良かった…と後から後悔が押し寄せてきて泣いてばかりいます。 息を引き取る前に「お父さんの娘で良かったよ、ありがとう」と伝える事は出来たのですが意思疎通も出来ない中で言っても…もっと会話が出来るときに何故言わなかったんだろうとグルグル考えては泣いての繰り返しです。 父が亡くなってからテレビを見て笑うのも、美味しいご飯を食べるのも普通の生活をしている事自体、申し訳ないような罪悪感があり辛いです。 父は私の気持ちを分かってくれているでしょうか? 生きてる時と変わらず見守ってくれているでしょうか? 本当に辛いです。

有り難し有り難し 34
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祖母の死が自分のせいではないか。

今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。 ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。 その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。 入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。 私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。 ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。 おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。

有り難し有り難し 12
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