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徳について

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徳について質問です。

徳を積む方法を知りたくて、動画サイトで、ある経営者さんの徳を積むことについてのお考えを聞きました。
ご本人に直接伺うことができないので、お坊さん方のお考えを聞かせて頂きたいです。

その方は、周りの人が笑顔になるように行動すればいい、周りの人を不快にさせるような行動はダメというような事を仰っていました。

故意に人に不愉快な思いをさせるのが良くないのは わかりますが、わざとでない場合はどうなるのでしょうか?

私は外斜視で、手術を受けたものの矯正できるギリギリ限界まで筋肉を切除しても治りませんでした。
電車に乗っている時など、自分では正面を見ているつもりでも、気が付くと向かい側に座っている人から凄い顔で睨まれていたりして ⁇ となり、後になって「あ、斜視で知らない間に私の方から相手の人を凝視したと思われたんだ」とわかるのですが、知らない人に「私、斜視なんです。あなたを見てたわけじゃないんです」と言うのも変ですし。

でも、人を不快にさせたのは事実なわけですから、この場合 私の徳はどうなるのか知りたいです。

人前ではなるべく下を向くようにしていますが、時々忘れて このようなことになります。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

功徳とは

ご相談拝読しました。

「功徳」とはもともと仏教的には「優れた結果をもたらす功能が善行為に徳として具わっていること」を指します。

仏教でいう「優れた結果」とは悟りに近付くこと。すなわち執着を離れることであり、けしてお金儲けができたり、人気者になれたりとか世俗的な事項として自分に都合が良い事がもたらされるという意味ではありません。

その動画サイトの経営者さんがどのような意味で「徳」という言葉を用いておられるかはわかりませんが仏教的にみればあまり正確な用法ではないと思われます。

さらに言えば功徳を具えた「善行為」についても私たち人間には純粋にできるものではありません。どこまでも自分に都合が良い事がリターンとしてあることを期待する下心が抜けないものでしかないのではないでしょうか。

そういう善行為は「雑毒の善(ぞうどくのぜん)」と言われます。毒=不純物が雑(ま)じった善行為であり、それは仏教本来の善行為ではないよという意味です。

周りの人を笑顔にさせる行為は大事ですし、不快にさせないことも大事ではあります。でもそれが「自分にできる」=「自分は相手のことがわかってあげられる」という傲慢さが何よりの毒なのかもしれません。

かといってけして何もするなということを言いたいのではありません。大事なことは自分自身の在り方に目覚めさせていただくということです。

目覚めさせてくれるのは仏様の教えです。つまり善行為は仏様にこそできる所業であり、私たち人間はそれを受け取らせていただくしかありません。

それに人間の快・不快の感情への配慮が行き過ぎて逆に息詰まってしまっているのが現代社会であると思います。
あなたの特性を不快に感じる人がいたならばそれはあなたの問題ではなく、その人の問題です。

仏様の教えは人間の能力とか特性とか様々な条件で差別するような教えではありません。
どうか下を向かずにどうどうと「これが私だ」と胸を張って前を向いて生きてください。
逃げも隠れもしなくていいようなあなたに気づかせてくれる、それが仏様の教えです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ご回答くださり、ありがとうございます。

読ませて頂いて、温かいお言葉に涙が出ました。
今まで何をしても裏目に出るような状態で、何故こんなに酷い目に合うのかと思いネットで調べたところ、「徳は先祖から引き継ぐもの。先祖の代や親の代で徳を使い切っていれば、何をしても駄目な状態になる」と書いてあるサイトがあり、自分もそうなのかなと思いました。

私は結婚していませんが、兄弟が結婚していて子供もいます。もし本当に うちの家系の徳が尽きているとすれば、その子たちまで私みたいになるのかと不安になりました。
とても可愛い子たちなので、幸せになってほしいです。
自分の為でもありますが、生きている間に できるだけ徳を積んで、その子たちに徳を残したいと思いました。

見返りを求めている時点でダメなのかもしれませんが、できるだけ頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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