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徳について

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徳について質問です。

徳を積む方法を知りたくて、動画サイトで、ある経営者さんの徳を積むことについてのお考えを聞きました。
ご本人に直接伺うことができないので、お坊さん方のお考えを聞かせて頂きたいです。

その方は、周りの人が笑顔になるように行動すればいい、周りの人を不快にさせるような行動はダメというような事を仰っていました。

故意に人に不愉快な思いをさせるのが良くないのは わかりますが、わざとでない場合はどうなるのでしょうか?

私は外斜視で、手術を受けたものの矯正できるギリギリ限界まで筋肉を切除しても治りませんでした。
電車に乗っている時など、自分では正面を見ているつもりでも、気が付くと向かい側に座っている人から凄い顔で睨まれていたりして ⁇ となり、後になって「あ、斜視で知らない間に私の方から相手の人を凝視したと思われたんだ」とわかるのですが、知らない人に「私、斜視なんです。あなたを見てたわけじゃないんです」と言うのも変ですし。

でも、人を不快にさせたのは事実なわけですから、この場合 私の徳はどうなるのか知りたいです。

人前ではなるべく下を向くようにしていますが、時々忘れて このようなことになります。

2019年11月15日 12:47

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

功徳とは

ご相談拝読しました。

「功徳」とはもともと仏教的には「優れた結果をもたらす功能が善行為に徳として具わっていること」を指します。

仏教でいう「優れた結果」とは悟りに近付くこと。すなわち執着を離れることであり、けしてお金儲けができたり、人気者になれたりとか世俗的な事項として自分に都合が良い事がもたらされるという意味ではありません。

その動画サイトの経営者さんがどのような意味で「徳」という言葉を用いておられるかはわかりませんが仏教的にみればあまり正確な用法ではないと思われます。

さらに言えば功徳を具えた「善行為」についても私たち人間には純粋にできるものではありません。どこまでも自分に都合が良い事がリターンとしてあることを期待する下心が抜けないものでしかないのではないでしょうか。

そういう善行為は「雑毒の善(ぞうどくのぜん)」と言われます。毒=不純物が雑(ま)じった善行為であり、それは仏教本来の善行為ではないよという意味です。

周りの人を笑顔にさせる行為は大事ですし、不快にさせないことも大事ではあります。でもそれが「自分にできる」=「自分は相手のことがわかってあげられる」という傲慢さが何よりの毒なのかもしれません。

かといってけして何もするなということを言いたいのではありません。大事なことは自分自身の在り方に目覚めさせていただくということです。

目覚めさせてくれるのは仏様の教えです。つまり善行為は仏様にこそできる所業であり、私たち人間はそれを受け取らせていただくしかありません。

それに人間の快・不快の感情への配慮が行き過ぎて逆に息詰まってしまっているのが現代社会であると思います。
あなたの特性を不快に感じる人がいたならばそれはあなたの問題ではなく、その人の問題です。

仏様の教えは人間の能力とか特性とか様々な条件で差別するような教えではありません。
どうか下を向かずにどうどうと「これが私だ」と胸を張って前を向いて生きてください。
逃げも隠れもしなくていいようなあなたに気づかせてくれる、それが仏様の教えです。

2019年11月15日 16:06
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

ご回答くださり、ありがとうございます。

読ませて頂いて、温かいお言葉に涙が出ました。
今まで何をしても裏目に出るような状態で、何故こんなに酷い目に合うのかと思いネットで調べたところ、「徳は先祖から引き継ぐもの。先祖の代や親の代で徳を使い切っていれば、何をしても駄目な状態になる」と書いてあるサイトがあり、自分もそうなのかなと思いました。

私は結婚していませんが、兄弟が結婚していて子供もいます。もし本当に うちの家系の徳が尽きているとすれば、その子たちまで私みたいになるのかと不安になりました。
とても可愛い子たちなので、幸せになってほしいです。
自分の為でもありますが、生きている間に できるだけ徳を積んで、その子たちに徳を残したいと思いました。

見返りを求めている時点でダメなのかもしれませんが、できるだけ頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 51
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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