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人の成功を喜びたい

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有り難し有り難し 9

こんにちは、質問失礼します。

タイトルから御察しの通り、私は人の成功を喜ぶことができません。
全く私の関わりもないジャンルならまだしも、本腰を入れている絵や少し好きな程度の歌など、自分より上手い人、楽しんでいる人を見ると嫉妬でいっぱいになってしまうのです。

嫉妬しても私の絵が上手くなるわけではありませんので、一刻も早く嫉妬を捨てて、お互い切磋琢磨できるような前向きな考えにしたいのですが、どうしていいのか分かりません。
嫉妬してしまう自分が情けなく、嫉妬で誰かを傷つたくない一心で人を遠ざけてしまうことも多くあります。辛いです。どうか知恵をお貸しください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の至らなさを認めるところに、進歩への扉はある。

こんばんは。亀山純史と申します。まだ、夕方の5時ですが、私が暮らしている岩手は、もう真っ暗です。

さて、タイトルの通り、「私たちは自分の至らなさを認めるところに、進歩への扉がある」と言いたいのですが、自分の至らなさを認めることが出来ない人にとって、非常に残酷なボードゲームがあります。それは将棋です。プロ棋士の対局を見るとわかりますが、「王手!」と言って、実際に相手の王将を取り、「ヤッター!ヤッター!」と勝ち誇っている棋士は、誰一人いません。将棋は自らの負けを自らが察し、「負けました。」と言わなければいけないのです。将棋の対局に、第三者の審判はいません。また、対局の相手が、「君の負けだよ。」とも言いません。更に、対局後には、感想戦があります。今の対局の振り返りです。この感想戦は敗者が納得するまで検討が続けられ、敗者が「ありがとうございました。」と言って終了するのです。勝者の側から「もういいでしょう。」などと言うことは決してありません。

このような将棋から学ぶことは、相手の素晴らしさを認め、自分の至らなさを認めることで、自分の進歩はもとより、人間的にも大きく成長するのだ、ということでしょう。

以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

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