人間不信、信じるのが怖いです
先日、元上司と出先で偶然会い、皆心配しているから、連絡してやれ、たまには顔出せ、こんなに心配してもらえるなんて、人間関係に恵まれていたんだよ、何なら戻ってこいよ、といった話を何度もいただきました。
あまりにも頻繁に、そのように仰るので、連絡出来そうなメンバー数名に連絡をとってみました。
懐かしむ方、心の内を話してくれた方、近況を話してくれた方、返事も何も一切ない方、反応は様々でした。
ただ、個人的には、辞めた人間が連絡をして、嬉しいものかなぁ…という思いが元々あったのですが、連絡を取ったことで、一気に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。
忙しい所辞めてしまったわけで、今さら何だよ!と思いながら皆さん大人な対応で返事してくれただけなんじゃ…とか、ただ、気を遣わせてしまっただけじゃないか…?とか、自分に対して、そんな好意的な気持ちがあるわけないじゃないか…などなど、後ろ向きな考えばかりが脳裏によぎってしまいます。
人間不信だろう、そんな気持ち自分にも相手にもプラスに働くわけがない、と自分でも感じるのですが、自分も相手も信じられない自分が苦しいです。
このネガティブな人間不信的な感情、どのように向き合えばよいでしょうか。
考えすぎてしまう、過剰にネガティブ思考、承認要求が強い方、自分に自信がない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を責めるより、相手に感謝
こんにちは。「辞めた職場の複数人に連絡を取ったら、反応は様々だった」とのことですね。
そして、特に返事を下さった方に対して「大人の対応をしてくれただけ」「気を遣わせただけ」ではないか?と勘ぐってしまっているのですね。
そしてご自分を責めておいでですが、「大人の対応をした」人たちはそれだけ大人なのであり、「気を使った」人はそれだけ余裕があった、ということです。「返事がなかった」のは「返事を返さなかった」だけ。またそれは、彼らから貴女への評価でもあるでしょう。「返事をするだけの価値がある人だ」「価値はない人だ」という。
返事を下さった方は、個々の事情はそれぞれでも「返信する価値がある」と思って下さった方ですよね。であれば、ご自分を責めるより先に、相手に感謝。それでバランスが取れるのではないでしょうか?今の状況は一方的にご自分を責めているので、「テイクだけしてギブしていない」ような不均衡が生じているように見受けられます。
「ご返信いただき、ありがとうございます」と書きましたか?その重みを、貴女自身が見落としているように見えますよ。
私の(お寺以外の)職場でも、「一度辞めた人に、改めて助けてもらった」ことは何回もありますよ。それは辞めた後でも何かにつけ連絡をしていたからです。上司の方は、そんな可能性を残したかったのではないかと思いますよ。
質問者からのお礼
佐藤良文 様
お返事、ありがとうございます。
辞めた後ろめたさや罪悪感が勝って、連絡した事を申し訳ないと強く感じていましたが、どんな理由があれ、お返事をくれた方の気持ちに、もう少ししっかり目を向けてみたい、返信する価値がある、と思ってくれた事に感謝したい、と思いました。
返信ありがとう、とは伝えましたが、本当に感謝の気持ちがこもっていたか…と言えば、義務感のみでお伝えしてしまった感があります。反省です。
「テイクだけしてギブしていない」、まさにおっしゃる通りです。
まずは、多数が返信してくれた意味を今一度考えてみたいと思います。
貴重なお時間割いていただき、ありがとうございました。
お礼と近況報告を兼ねて、追記で投稿させていただきます。
こちらでの相談の後、仕事以外でも仲の良かった方数名から、仕事の相談の連絡が来たり、辞める前に楽しんでいたような雑談など何気ないやり取りを再開する事が出来ました。
頑張る場所は変わってしまったので、頻度は前のように頻繁に、とはいかないかとは思いますが、再び繋がった縁、大切にしたいと思います。
こちらに相談して本当に良かったです、佐藤様、改めて、ありがとうございました。