キリスト教の外国人が仏教を信仰したい時
こんにちは。ヨーロッパ在住の日本人です。
日本文化が好きな人が多く、仏教に興味がある人がたくさんいます。
彼らは子供の時に自動的にキリスト教の洗礼を受けるので、キリスト教徒なのですが、一般的な日本人のように信仰してもよいのでしょうか?
彼らは僧侶になりたいのではなく、仏教を尊敬し、日本人が自然に行っているように親しみを持って接したいのだと思います。
日本の仏教は皆に開かれているイメージがあります。仏像などにお願いをする際、キリスト教の洗礼を受けた外国人に対しても、分け隔てなく救済してくれると思っていますが、いかがでしょうか?
外国人が仏教を信仰するには、洗礼を解消するなどの手続きが必要ですか?
すでに他宗教の洗礼を受けた外国人が、どのように仏教と接すれば良いのか、アドバイスいただけたら助かります。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『和合(わごう)こそが望ましい』。
洗礼についてですが
それは各自で決めていただくほかないように思います。
“仏教側”はあまりなにも言えないと思います。
仏教はひとりひとりの内面に向き合う宗教ですし、また科学でもあり、哲学でもあります。
ですから洗礼を受けていても受けていなくても
“一応”、教えを求める気持ちがあれば仏教を信仰してかまわない、くらいは言えると思います。
しかし、私が思うにヨーロッパ諸国などにおける“洗礼”というのは
「物心つく前に受けさせられた」ケースなどよく聞きますけれど、それこそ日本における“七五三”のように通過儀礼のようなものだと感じます。
「自分で決めたわけではない」とはいえ、いわばおじいちゃんおばあちゃんの代から習慣として受け継がれてきたもの、空気のように当たり前にあるものを、ある日突然、「信じられなくなったから捨てる」と言っていいものでしょうか?
私は、すぐには洗礼を解消せず、できればキリスト教の出自を大切にしてほしいと思います。
そのうえで『日本人が自然に行っている』ことを同じようにやっていいと思います。
そのうち、自分自身の心のうちに葛藤や矛盾が生まれるかもしれません。
しかし道を歩むというのはそういうものだと思います。
仏教を開いたお釈迦さまのもとに
他宗教の信者だったウパーリという人がやってきて弟子入りを請うたことがあります。
お釈迦さまはすぐには認めず、再度請われてようやく許しましたが、むしろ今まで師事した師のことも教えも、これまで通り尊敬し、支持するように促したそうです。
また古代インドの偉大な王アショーカは
この仏教の精神にならって石碑にこう記しました。
『自らの宗教のみを信奉するのではなく他の宗教も敬わなければならない。
そうしなければ、自らの宗教の墓穴を掘るだけではなく、他の宗教をも害することになる。』
アショーカ王のような態度は
簡単に見えて意外に難しいです。
『自らの教えは誰にとっても通用する。正しい教えだ。』
実際、仏教にもそう主張する人がいます。
『しかし実際にはそうすることで自らの教えをより深刻に害している。』
ですから
『それゆえに和合こそが望ましい。』
『誰もが、お互いの教えを聴こう。聴くようにしよう。』(アショーカ王)
そうあってほしい。
私もそうありたいと思います。
南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
「他の宗教も敬わなければならない」というアショーカ王の精神は、八百万の神を信仰してきた日本人には受け入れられやすい一方、キリスト教一辺倒のヨーロッパ人には難しそうです。キリスト教側の問題は、キリスト教の神父などに質問してもらうしかないですね。
今後、仏教の教えに興味があるけれど、キリスト教の洗礼を受けたことを気にする外国人には「仏教を信仰しても仏教側は問題ない」と伝えても良いとわかり、すっきりしました。
ありがとうございました。