親友だった人と別れて寂しい
私は精神病ですが、病院で入院中に知り合った人とつるんでいました。その人は詳しくは書きませんが、あまりいい人ではなかったのですが、寂しいからつるんでいたんだと思います。その人と以前相談した件が発端でけんか別れしました。その人が言うには「16年も休職して休職手当もらってるなんて犯罪だ。」というのです。「100人に聞いてみろ。みんな犯罪って言うから。」とかいうから、税務調査も通ってますし、以前弁護士に聞いても問題ないということを言ったら、「浮気は犯罪じゃないって言うようなものじゃないか。」って言うから、浮気は犯罪ではないと民事上の賠償責任のことを言ったら、「あなたは間違っていると思わないのか?」というので「思いません。」といい、車を降り、携帯の連絡先も消し、メールもブロックし、着信拒否しました。
しかし、寂しくて仕方がありません。ぽっかり穴が開いたようで、海援隊の『贈る言葉』を聴いてたりします。
信頼する友人にも相談してみました。二人の意見は一致し、そんな友人は縁を切るべきだと言ってくれました。
また、病院で知り合った人に個人的なことをしゃべるべきではないね。とも言ってくれました。今は、ただでさえ妬まれる世の中なので、恵まれている人はそれを周りに明かすべきではないとも言われました。例えば、守秘義務があるカウンセラーとかお坊さんとかならともかくと友達のお坊さんは言っていました。とりあえず、うまいものと甘いもの食べて心を落ち着けてから、問題を解決しないとぐちゃぐちゃになる世とも言ってくれました。同級生なんですが既に寺の住職なんでさすがだと思いました。ダラダラと書いてしまいました。気分転換するしかないんですかね?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦様の教えを学びましょう。
こんばんは。まさに、この世の苦しみを自ら体験してきた、ということですね。
今までの質問から、あなたも一度は僧侶になった、と読みました。であれば、個別の宗派ではなく、お釈迦様の事を学びなのしてみては如何でしょうか。
苦とは何か?苦から離れるために何をすべきか。それを学ぶ中で、今までの人生で起きたことに、今までとは異なる角度から評価ができることと思いますよ。
学ぶというのは、一面では文字で言葉で学ぶことです。でも、それだけでは半分。実際に世の中で起こることから出発して、問題意識を持って学ぶことで、仏教があなたの血肉になっていくことと思います。気分転換で忘れてしまうのは勿体無いです。
質問者からのお礼
そうですね。苦とは四苦八苦ですし。その八苦の中の愛別離苦と怨憎会苦がごっちゃになっている状態なんですね。それを実感しました。そういう仏教的認識はありましたが、苦から離れるにはどうしたらいいのかよくわからなくなっていたように思います。とりあえず、手元の愛読していた増谷文雄先生の『仏陀その生涯と思想』(角川選書)を読み直してみたいと思います。その次に同じく増谷文雄先生の『根本仏教と大乗仏教』仏教文化選書 佼成出版社を読みましょうかね。まだ未入手ですが最近出た本で『大乗非仏説を超えて』は良さそうです。ちなみに、友人の坊さんの言ってくれた気分転換してからというのは、ぐちゃぐちゃな心理状態のまま次の行動を起こすのは危険だから、まずは食と眠りを確保してから、次の行動を起こしたらというアドバイスであり、気分転換をして忘れてしまえと言ったわけではありません。その辺誤解があったようで。気分転換はできたので、次は仏教を学び直してみたいと思います。いろいろ仏教書はありますが、選りすぐりをアパートに持ってきているのでまた読み直すと新たな発見があるかもしれません。釈尊伝も良いのですが、釈尊の教えを学ぶとなると柏木弘雄先生の『仏教思想史ノート』世界聖典刊行協会 ぼんブックスが良いような気がしてきました。中村元先生の『インド思想史』岩波全書は難しくてよくわからないし。とりあえず、その辺から手を付けたいと思います。仏教を知識ではなく知恵と化し、自分の血肉にするためのアドバイスありがとうございました。
『仏教思想史ノート』は中身見たらその名の通り仏教思想がどう発展したかの本でした。それより良さげな本を本棚から見つけました。中村元先生の『原始仏教その思想と生活』(NHKブックス)で、1970年に出た本で、FM放送での講義録なんですが、『インド思想史』ほどではないんですが、内容的には難しくて今の自分にはあまりよくわからないのですが、第四章の苦しみと無常のところだけ読んでみました。苦しみの原因が欲望にあり、少欲知足を説き、無常観を大事にするというプロセスはなんとなくわかりました。もう少しわかりやすくその辺書かれた本はありませんかねえ。もう少し読み込んでみます。一読しただけでは内容がわかりにくいです。
無常観をすれば苦からの解放につながるというのが、よくわからなかったのですが、今回の件で言えば、友達との仲が永遠に続くと思っていた自分がいて、それは仏教的に言えば、いつ終わるかわからない関係であるというのが無常ということなのですね。この世は常ならずというのが無常でしょうから。『平家物語』冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り。」とある通り、諸行無常なのですね。仏教は永遠を否定し、無常であると説きます。がゆえにか、インドでは14世紀ごろ滅びてしまいます。ですが、周辺国に広がり、世界宗教の一つとなりました。その広がりについてはまた『仏教思想史ノート』で学び直したいと思いますが、まずは無常であることを永遠と勘違いしていた自分がいたことに気が付きました。この世はすべて無常。念仏もそこに立脚したものなのですね。気づかせていただき、ありがとうございました。