即身仏についてです。
以前山形県を訪れその際に即身仏を拝観させていただきました。
そこで疑問に思ったのですが、即身仏は何故現代でも信者や崇敬者が多数いて、信仰されるのでしょうか?
古代(?)では病を治したり、その時代の人々が衆生救済で即身仏となった上人様を有難く思いお参りをするというのは分かるのですが、飢饉などが無くなった現在何故信仰されるのでしょうか…?
僧侶の皆様のお力を借りたく質問させていただきました。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは昔の偉いお坊さんだからです。
山形のお寺の副住職をしている井澤と申します。
地元のことが書かれていて、うれしく思いました。
即身仏は確かに山形で多いですね。庄内地方に二つありますし、置賜地方にもあると聞いております。山形は飢饉が多い土地柄でした。しかし、他の地方と違って一揆や強訴に頼らず、宗教を頼ったのです。真言宗の方では、身を犠牲にして、即身成仏し、飢饉を救おうとしたのです。土の中に息だけできるようにして埋められ、十穀断ち、五穀断ちとだんだん食事を減らしていって、ついには絶食して、餓死した遺体を掘り出して、即身仏として祭ったのです。その当時のことを皆思い、また身を犠牲にしてまで、飢餓を救おうとしたお坊さんを慕い、今でも信仰があるのだと思います。私は真言宗ではないので、あくまでも推測にすぎません。私の宗派では、飢饉のときに雨ごい念仏をしました。今は、最上川からポンプで水あげてるので、そうそうないですが、それでも私が生まれるころ昭和47年か48年に雨ごい念仏をしたそうです。それくらい、雨が降らないと飢饉になりやすい土地柄だったことを思うべきでしょう。そしてそのために命を投げ出してまで救おうとしたお坊さんを慕うのは当然のことだと私は思います。
質問者からのお礼
御礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
たいへん参考になりました。
現代では即身仏拝観ツアーなどがあるため観光目的に信仰されており、宗教的な面が薄れてきているのでは(神社をパワースポットとして紹介するのと似たような感覚)と思っておりました。
飢饉になりやすい土地柄ということを考えると数多くの僧侶の方々の努力などがあって、現代でもその信仰が息づいているのだと知ることが出来ました。
ありがとうございました!