回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大切なことは、今、真剣に道を歩んでいる自分がいるかどうか
こんばんは。亀山純史です。前回に引き続き、回答させていただきます。
「普通」とは、「平均的」ということでしょう。そして、「出る杭は打たれる」という諺があるように、特に日本人は「普通」もしくは「平均的」であれば安心する国民かもしれませんね。しかし、そうした平均的な状態から抜け出すところに、物事の発展はあるはずです。たとえば、私が信仰している浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、鎌倉時代のお坊さんでしたが、その当時としては比叡山延暦寺で仏道修行をすることが普通だったわけです。それで、親鸞聖人も20年間にもわたる修行を、比叡山でなさいました。しかし、そこでの修行からは、自らの悟りへの道を見いだすことが出来ずに、比叡山を下山します。そして、法然上人のもとで、「浄土教の教えこそ、自らの悟りへの道である」ということにたどり着くのです。
ここで大切なことは、「今、自分が歩んでいる道が普通かどうか」ということではなく、「今、真剣に道を歩んでいる自分がいるかどうか」ということでしょう。
以上が私からの回答になります。
普通じゃなくても良い
SMAPの『世界に一つだけの花』は私の大好きな槇原敬之が歌詞を書いていますが、みんなそれぞれで良いと多様感を認める歌で私は大好きです。「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One」から始まる歌です。普通とは何かというのに真面目に答えると、日本の同調圧力です。それは明治の昔から変わらず、あの夏目漱石が『草枕』冒頭で、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。」と書いた通りですよ。日本社会はとかく他人に合わせることを強調する傾向があり、それが窮屈さにつながっています。かといってアメリカやヨーロッパのような個人主義が根付くかというと、なかなか難しいのですが。