hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

幼稚園が苦手

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

子供が通っている近所の幼稚園は、先生方はとても優しく、良い園だと思います。娘も馴染んでいて、先生方にも懐き、お友達もいて、楽しく通えていると思います。

でも母である私が幼稚園が苦手です。幼稚園というより、お母さん達の集まりが苦手です。

私はパートに行っているので、娘は幼稚園の預かり保育を、毎日ではありませんが利用しています。仕事が無い日は、娘の習い事のため、少し早く迎えに行ってます。

幼稚園はバスが無く、一斉にお迎えです。ですので帰る時間になると、お庭にお母さんが集まり、子供を園庭でしばらく遊んでから、解散になります。幼稚園側は、お母さんに園庭で遊ぶ子供をちゃんと見ているように言われていますが、実際はお母さんだけ輪になり、井戸端会議をしています。

私はたまに通常時間に迎えに行くと、自分の子をずっと見ています。井戸端会議をする人はいません。たまに顔見知りのお母さんと少し話す程度です。この時間はかなり苦痛です。

私は最初、周りと上手くやりたいと思っていましたが、仕事があるためランチ会などは行かず、係りも出来なかった上、降園時間も違うので、あまり他のお母さんと接っする事が出来ず。気付くと、周りのお母さん達は下の名前で呼び合う仲、同じ習い事を友達同士(複数)で入会する仲で、取り残された気持ちです。

ある時、顔見知りのお母さんと話していたら、そのお母さんは「〇〇ちゃんのお母さんだ」と言って、会話の途中なのに去ってしまいました。そのお母さんに、別の日、全く悪気なく「公園で遅くまで遊んでるね、何時まで遊んでるの?」みたいな事を言ったら、嫌味に聞こえたのか「☆ちゃん(私の娘)も毎日お預かりでかわいそう」と言われてしまいました。

また他のお母さんと話す機会があり「働いている人いないでしょ」、と言われ、(実際は結構います)「4時半までお預かりでかわいそう」のような事を言われました。

何となく、馴染んでない上に、嫌われまではしなくとも、疎まれているような、生活を否定されたような気がして、余計にお母さんの集まりが苦手になりました。

今度、忘年会があるそうで(夜の集まり)、子連れでも良いそうなのですが、行きたくありません。グループLINEで続々と「出席」の返事がきて、また取り残されちゃうな、という気持ちもあります。

でもお母さんの集まりが苦手です。職場では平気なのに。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仲良く見えても実は結構みんな無理してるんですょw

ハスノハにご相談に来られているので、仏教的な視点からのアドバイス等を期待されていたのでしたらゴメンなさい…

話の途中で居なくなった顔見知りのお母さん…
他のお母さんに急いで告げる用事があったのかもしれませんし、本人がお迎えグループから仲間外れにされることを恐れて…だったのかもしれません。

特にあなたの事を疎んじてとかではないと思いますょ。
むしろ、仕事で毎日お迎えグループに関わらないで済むあなたの事を羨んでるかもしれません。

ランチ会や、休みの日もグループで遊びに出掛けたり…と、一見仲が良いように見えますが、実はみんな無理してたりしますw
「子どもが仲間外れにされると可哀想だから…」とかの理由で。

でも、実際はそんなことが理由で子どもが仲間外れにされた…なんて話は、私は聞いたことがありません。

同じ習い事やスポーツクラブに入会するのも、親同士の知り合いがいたほうが心細くないから…が理由だったりします。

卒園等でママ友グループから卒業できて「はぁ~やっと解放された…」なんて話もあちらこちらから聞いたことがあります。

「預かり保育」も、少子化で兄弟姉妹の少ない子どもさんからすると、他学年のお兄さんお姉さん的な、弟妹的な子どもたちとふれ合える貴重な機会かもしれません。

お子さんは、楽しく幼稚園に通われてるのではありませんか?
お子さんが楽しく通えることが一番です♪

よその保護者の顔色ではなく、あなたのお子さんの表情をもっと見てあげて下さい♪

{{count}}
有り難し
おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
このお坊さんを応援する

プライドの煩悩

「自分」という存在の価値、自分が他人からどう評価されているかを気にするのは、プライドの煩悩です。仏教用語では「慢」と言います。
プライドの煩悩は誰にでもありますから、気にしてしまうのは仕方ないのですが、頭の片隅に「これは煩悩だ」と気付いている冷静な視点、仏様の智慧(ちえ)の眼を持つようにしましょう。
人それぞれ生活は違いますので、上下はありません。
人生は、できることをできる範囲でやれば良いのです。
気にしてしまうのは煩悩(悪魔のささやき)であり、真理を見失っている迷いの状態。
木の影をオバケだと勘違いしているようなもの。
本当はオバケではない、でもオバケじゃないかと怖くなってしまうことがある、だけど本当はオバケじゃない。
そんな感じで。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ