托鉢僧について
冬場の午前中、駅で1人お鈴(と言う名称で合っていますか?)を持った若いお坊さんが立っていました。
托鉢僧に対して、どう接したら良いのか分からず、いつも素通りしていた事が今でも心に引っかかっています。
無言で立っている姿は、ちょっと近寄りがたくもあります。
お坊さんの為ではなく、私達の為に立って下さっているんだ。と、思うのですが、気恥ずかしさもあり近寄る事すらためらってしまいました。
何を渡そう?お金ならいくら?そんな事を考えると、今日は無理だ。今度にしよう。となってしまった意気地なしです。
托鉢僧の目的は何となく分かるつもりですが、作法や心構え等あれば教えて下さい。
今もまだ居るかは分かりませんが、托鉢僧の偽者と本物の見分け方等はあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無の気持ちで
初めまして、お早うございます。
昔は良く、駅前などで托鉢(たくはつ)をされる方を見かけられましたが、最近では例えば、新宿などの駅前では見かける事があると思います。修行の一環として民家を歩いて回る托鉢も御座います。
修行として托鉢をする僧侶は袈裟(けさ)をつけていると思います。
修行のために托鉢をする僧侶は純粋に、皆様の平和の為に・・と立っております。近寄りがたいとお思いでしょうが・・ちょっとの勇気を出して見てください。
お気持ちをお渡しさせて頂き手を合わせてください。
仏様は見返りなどの欲は嫌いなのです。・・・これだけしたのだから願いを叶えて!ではなく、純粋な気持ちでお賽銭などをご奉納ください。自分の為にではなく皆様の為に。そう祈りますと、誰かがあなたと同じように祈ってその祈りが大きな祈りとして帰ってくるのです。
あなたらしい素晴らしい一日をお過ごしくださいませ。
合掌
托鉢については過去にも問答がありますのでお読みください。
もし偽物の人がお坊さんのコスプレ用品を買って立っていたとしても、元を取るためにはとても時間がかかると思います。あの格好で駅前に立つだけでも大変な修行だと思います。
ホンモノかニセモノかを見分ける方法ですが、私は、托鉢の鉢(お椀)のふちに指をかけているのはニセモノと判断するようにしています。僧侶の資格を持っていたとしても、あそこに指をかけた時点で失格だと私は思っています。
質問者からのお礼
永寛様、はじめまして。ご返答をありがとうございます。
中々、日々の暮らしの中、人様の幸せまで願う余裕を持てぬままです。
でも、托鉢の考えは日々の暮らしの上でも必要なんだなと、改めて感じました。
まずは、勇気を出して托鉢僧に合掌したいと思います。
欲を捨て去るには、時間がかかるかもしれません。模索していきたいと思います。
光禪様、ご返答をありがとうございます。過去、こんなに同じような質問が合ったとは……。
申し訳ありません。調べ方が浅かったようです。
その中、お時間を割いて答えて下さり、ありがとうございます。
鉢の持ち方にも作法があるようですね。もっと色々知りたいと思います。良い勉強をさせていただきました。
ありがとうございます。