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托鉢僧について

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有り難し有り難し 27

冬場の午前中、駅で1人お鈴(と言う名称で合っていますか?)を持った若いお坊さんが立っていました。
托鉢僧に対して、どう接したら良いのか分からず、いつも素通りしていた事が今でも心に引っかかっています。
無言で立っている姿は、ちょっと近寄りがたくもあります。
お坊さんの為ではなく、私達の為に立って下さっているんだ。と、思うのですが、気恥ずかしさもあり近寄る事すらためらってしまいました。
何を渡そう?お金ならいくら?そんな事を考えると、今日は無理だ。今度にしよう。となってしまった意気地なしです。
托鉢僧の目的は何となく分かるつもりですが、作法や心構え等あれば教えて下さい。
今もまだ居るかは分かりませんが、托鉢僧の偽者と本物の見分け方等はあるのでしょうか?

2019年12月19日 15:28

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無の気持ちで

初めまして、お早うございます。

昔は良く、駅前などで托鉢(たくはつ)をされる方を見かけられましたが、最近では例えば、新宿などの駅前では見かける事があると思います。修行の一環として民家を歩いて回る托鉢も御座います。

修行として托鉢をする僧侶は袈裟(けさ)をつけていると思います。

修行のために托鉢をする僧侶は純粋に、皆様の平和の為に・・と立っております。近寄りがたいとお思いでしょうが・・ちょっとの勇気を出して見てください。

お気持ちをお渡しさせて頂き手を合わせてください。

仏様は見返りなどの欲は嫌いなのです。・・・これだけしたのだから願いを叶えて!ではなく、純粋な気持ちでお賽銭などをご奉納ください。自分の為にではなく皆様の為に。そう祈りますと、誰かがあなたと同じように祈ってその祈りが大きな祈りとして帰ってくるのです。

あなたらしい素晴らしい一日をお過ごしくださいませ。

合掌

2019年12月22日 7:20
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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...

托鉢については過去にも問答がありますのでお読みください。

https://hasunoha.jp/questions?utf8=%E2%9C%93&query=%E6%89%98%E9%89%A2&sort=&commit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

 もし偽物の人がお坊さんのコスプレ用品を買って立っていたとしても、元を取るためにはとても時間がかかると思います。あの格好で駅前に立つだけでも大変な修行だと思います。
 ホンモノかニセモノかを見分ける方法ですが、私は、托鉢の鉢(お椀)のふちに指をかけているのはニセモノと判断するようにしています。僧侶の資格を持っていたとしても、あそこに指をかけた時点で失格だと私は思っています。

2019年12月22日 14:44
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・曹洞宗/静岡県/50代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、...

質問者からのお礼

永寛様、はじめまして。ご返答をありがとうございます。
中々、日々の暮らしの中、人様の幸せまで願う余裕を持てぬままです。
でも、托鉢の考えは日々の暮らしの上でも必要なんだなと、改めて感じました。
まずは、勇気を出して托鉢僧に合掌したいと思います。
欲を捨て去るには、時間がかかるかもしれません。模索していきたいと思います。

光禪様、ご返答をありがとうございます。過去、こんなに同じような質問が合ったとは……。
申し訳ありません。調べ方が浅かったようです。
その中、お時間を割いて答えて下さり、ありがとうございます。
鉢の持ち方にも作法があるようですね。もっと色々知りたいと思います。良い勉強をさせていただきました。
ありがとうございます。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

有り難し有り難し 15
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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 62
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