hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

うつ病で葬式に行けなかった

回答数回答 2
有り難し有り難し 44

はじめまして。
年末のお忙しいところに申し訳ございませんが、どうしても苦しく罪悪感で体が内から張り裂けそうなのでどうか悩みをきいてください。

うつ病を患っています。HSP(highly sensitive person)の気があるとも言われました。以前は仕事もしておりましたがそれも辞め、ここ一年半ほどは自宅で休んでいます。最近は寒いせいかあまり元気が出ず、年賀状などもかけませんでした。

私はとにかく人より感受性が敏感らしく、ちょっとしたことでも驚いたり傷ついてしまいます。大好きな母に産んでもらったことに感謝はしていますが、人生はつらく悲しいことだらけで生きることに向いていないとも感じます。

そしてつい昨日のこと、突然母方の祖母が亡くなりました。
一緒に住んではおりませんでしたが、優しく接してくれた思い出は今も忘れません。
今日がお通夜で明日がお葬式です。行かなければ、と思いつつ、涙は止まらないし、うつ病が特に酷かった時期のように体がとにかく怠くて重くて動かなくて、日中横になって寝ていることしかできませんでした。

母(亡くなった祖母の娘)は今朝、私にお通夜とお葬式に出るように言いましたが、横になりながら泣き喚く私を見て、式には出ないでもいいから、家でお祈りしていてくれればいい、と気を遣ってくれました。日を改めて祖母の元にお参りする、ということになりました。

毎週祖母を見舞っていた母の方がつらいはずなのに…とか、血の繋がった祖母との最後のお別れの会に出ないなど…とか、とにかく罪悪感・自己嫌悪で心がズタズタです。でも、この状態で長い式に耐えられるとも思わないのです。今日だけで三度、家の仏壇で手を合わせるなどしましたがそれでも心は晴れません。とんだ不幸者だ、と自分を責める声が頭の中でずっと鳴り響いているのです。

うつという自分都合で親族のお葬式を欠席するのは許される行いでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を責めるのをやめましょう。

369 様 相談ありがとうございます。

欝の状態が続いて、大変そうですね。そして繊細な感覚も持ち合わせているという事で、辛い状況が想像できます。

御祖母様のお通夜、お葬式に出ることができないとのことですが、貴女のその体調では、それは致し方ないことでしょう。もし無理にお通夜、お葬式に参列した場合、繊細なあなたは、行ったはいいが耐えられなくなっていたのではないですか?

まずは、どんな状況であれ、自分を責めるのを止めましょう。
お葬式に行けないからと言って、自分を責めないでください、罪悪感、自己嫌悪を捨てましょう。参列できなくても許されますから。家に居ても冥福を祈ることは通じますから、三度も家で祈ったのですから、御祖母様にその気持ちは通じます。
体調の良い時に、お線香をあげに行ってくださいね。それでも通じますので。

さらに、繊細で自己嫌悪・罪悪感など、自分を責める心の癖を、今度は感受性豊かに、心地よいこと、楽しいこと、嬉しいことに、繊細な感覚を向ける習慣をつけませんか!
それには、まず、自分を責めない。欝で繊細で困った状況、これは致し方ない。誰にでもなり得る状況だ、と客観的に自分を眺めて、こんな自分を許すことです。さらに、親愛なる人に抱かれたような感覚、暖かい優しい光に包まれているような感覚を思い出してください。小さい頃お母様とか御祖母様に優しく抱かれているよな感覚です。無条件に愛されているという感覚です。
しばらく、ゆっくりとした呼吸で、欝になる前の子供の頃の優しい感覚を思い出して、味わってください。その味わう事を、毎日数分でもいいから続ける習慣をつければ、貴方のその繊細な感覚は、心地よいことに向いていくでしょう。
御祖母様も、それを待っていると思います。
さらにさらに、貴女は、繊細なだけで不幸ものではありませんことを念押ししておきます。
お読みいただきありがとうございました。
一礼

{{count}}
有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
このお坊さんを応援する

お葬式に出れなかったのは残念だが不可抗力

うつでお葬式に出て欲しいと言われたのに出れなかったのですね。出て欲しいと言われただけまだ良いじゃないですか。私は統合失調症になって以来、実家とは疎遠になり、妹の結婚式にも祖母の葬式にも呼ばれませんでした。まあそれはともかく、病気が酷い時は何もできないものですよ。それを悪いほうに考えても仕方がありません。あなたはやさしく、感受性が鋭い人なのだから、きっと大丈夫です。また亡くなった祖母も見守って下さっています。お寺に行けなくても仏壇に手を合わせればそれでよいのです。いつでもどこでもだれでもできることだから。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

有難い回答に心から感謝致します。
昨日姉が帰宅したのも重なりだいぶ気分が落ちつきました。
最後のお別れに顔を出せない謝罪と、今まで愛してくれたことへの感謝の念を込めて、先ほどまた仏壇で手を合わせてきました。私がひとり泣き喚いていても祖母は悲しいのではと思うので、心を落ち着かせることができて今とても安心しています。
hasunohaの皆さまに相談して良かったです。重ね重ねになりますが心から感謝申し上げます。

「鬱の症状・うつ病に向き合う」問答一覧

相反する気持ちへの対処法

本年もよろしくお願いいたします。 過去の質問の通り、私は6、7年ほど前からうつ病を患い、寝たきりに近い状態になりつつも何とか社会復帰を願っています。 今自分にできることをやって、今の自分を良くすることを考えるようにしたい。それは間違いなく本心のはずです。 でもどこかで、自分の心はそれを必ずしも良しとしていないように思うのです。 例えば、夜寝ようとしても全然眠れないとき。これでは次の日に用事があれば間違いなく影響してしまうのですが、何かイライラしている。そして、最近あったこととか、うつ病であることすら隠れ蓑にしてイライラに身を任せたり、怠惰をむさぼったりしてしまう。ドカ食い、ゲームやスマホの長時間使用などが止まりません。それでよくなるはずがない。 心のどこかで、変わることを恐れている自分がいるようなのです。 「社会復帰したくない、ずっとこのまま自由に穏やかでいたい、人生の波風を立たせたくない」・・・。 それこそ社会復帰じゃなくても、痩せなきゃいけないのにドカ食いしていたり、お金を節約しなければいけないのに豪遊しようとしたり、正しい道が分かっているのにいろんな理由を付けてそこから外れる行動をとってしまうことが多いです。 あるいは忘れようとした悪い記憶を思い出して、怒りが止まらなかったり、復讐まで行かずとも一泡吹かせることはできなかったのかなどと思ったりもします。 そういう部分も人間にはあるとは思います。うつ病の人が、心のどこかで「治してよくなろう」と思っていないから治療が進まず、後戻りすることすらある。そんな話も聞きます。 でも、「人間大なり小なりそういうものだから」「こういうことはよくある」でもう片づけたくはないのです。 自分としては、相反する気持ちも受け入れて、何とか悪い行動はとらないようにしたい。「正しい」「悪い」の判断が良いかわからないけど、「正しい」道から外れて「悪い」行動をすれば絶対後悔するのはわかっているのです。 相反する想いに折り合いをつけて、自分を壊してしまいかねない思考・言動を避ける。難しいのかもしれないですが、そういう事が少しでも出来るよう、アドバイス等あればご教授いただけますとありがたいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

期待されるのがしんどい

期待されることがしんどくて仕方ないです。この気持ちはどう考えれば晴れるのでしょうか? 指針になるようなお考えをお聞かせください。 以下、長くて申し訳ないのですが現状です。 ここ最近、鬱病にかかり数ヶ月休職したあと、元の職場に復職しました。 復職後はなんとか体調管理をしながら仕事をこなしていたのですが、この度、異動することが決まり、その件で感じたことです。 異動連絡のあった当初は「閑職に飛ばされるんだろうな」と思い、鬱の療養のことを考えても今より楽な仕事につかせてもらえるのは正直ありがたいなと思ってました。 ですが蓋を開けてみると「花形部署」勤務。今までと全く違う業務内容に花形部署ならではの質と量を求められることになりました。 こんなことをされても鬱病だから無理だと訴えても「優秀だから辞めてほしくない」「だから一番やりがいがあって、かつ、調整が効く部署に配属に決めた」「できる範囲の仕事をやってくれたらいい」と言われるのみ。 周りに相談しても二言目には「優秀だから期待されているんだね」「優秀なんだし、そんなに頑張らずにやればいいんじゃない?」との反応。 だんだん周りに「辛い」と相談しても自分の優秀さや会社に評価をされてるという自慢をしているような雰囲気になって、誰にも相談ができなくなりました。 私は一度もその部署に行きたいとも、出世したいとも言ったことはありません。 今の部署も出世するルートのある部署ではなく、マイペースにやれる部署でした。 それに私は優秀なのではなく、真面目で言われたことを言われたままにコツコツやるタイプなだけです。 ですが、その性格も鬱病で駄目になりました。なのに周りはまだ期待をかけてきます。それに応える必要なんてないはずなのに、応えてもらえなくて悲しむ相手を見て罪悪感がわいて、つい頑張ってこなそうとしてしまいます。 毎晩、どうしたらいいか分からなくなって、悲しさだけがポツポツと湧いてきているような状態です。とても悲しくて、やるせなくて、しんどくて辛いです。 どうかこんな私に、何かお言葉をいただけると幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

母が鬱かもしれません

鬱かもしれない田舎に暮らす母への適切なフォローと、これからの私の心持ちで漠然と悩んでいます。 60を超えた母がいます。この間、痙攣を起こし、救急搬送されました。検査の結果体に異常なし、心因性ではないかと診断されました。 田舎で父と父方祖父母と暮らし、近いですが別の地区に母方祖父母が2人で暮らしています。高齢な親たちの面倒を、母がひとりで面倒見ているような状態です。 私の姉に子が生まれて里帰りをしたり、母方の祖父母が立て続けにガン手術をしたり、相続周りの話をしても聞く耳を持たない様子だったりと、去年から心が忙しない日々を送っており、時折激しく家族の愚痴(父の兄弟が義父母の面倒をみないことなど)をこぼすこともありました。福祉に明るい姉には、鬱傾向を相談していたようです。 母は以前から、パニック障害のようになり呼吸が苦しく飛び降りてしまいそうな気持ちになることがあったり、プライドが高く自分で全部やろうとするので頼るのが下手だったりします。 父は母が居ないとダメになってしまうのが目に見えてるような人で、責任感はありますが急に気性が荒くなるので話し合いがあまり得意じゃありません。(私たち子どもも昔からうんざりです) 母には精神科受診を勧めました。最近私自身も心が疲弊し精神科受診を体験したので、そのエピソードも交えて。ですが田舎のため、精神科が圧倒的に少なく、適切なカウンセリングが受けられるかもわからず、またどこに行っても誰かしら知り合いがいるため、精神科受診のことを変に噂しそうな田舎独特の空気もあります。母自信もそこをかなり気にしており、都会はいいわねとこぼします。 そばにいて、優しく話を聞いたり、病院選びに付き合ってあげれたらいいなと思いますが、私が都内で働いているため、なかなか難しく。 父に任せるしかありませんが、母を想うより先に自分の不安が苛立ちに変わってしまうような甘ったれな部分もあるため、日々の中で母がさらに落ち込まないか心配です。その辺りも姉と相談しながら、適切な医療にアクセスできるようフォローはしたいと思っていますが…。 元気だった母のこんな姿に、私も少なからずショックがあります。このような時の心持ちのために、何かお言葉をいただけたら、私自身気を強く持てるかもと思い、ご相談しました。 乱文申し訳ございません、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

産まれてきたことを謝罪したい

鬱が非常に酷く、特に罪業妄想の症状に悩まされています。 最近は「産まれてきたことをどうにかして償わないと」という妄想が 毎日頭の中を反芻し、それ以外のことが考えられなくなることが多々あります。 仕事をしている間は、まだ気が紛れるのですが、土日は布団の中で時間がすぎるのを願い、 ただ時間が流れるのを待つだけの日々が続いています。 皆は時間が資産だというのが羨ましいです。私にとって寿命は途轍もない負債です。 ただ、いま自殺してはいけないのはわかります。職場や家族、親族に迷惑をかけてしまいますし、 それによってダメージを受ける方や、後処理に手を焼く方々が居るのは十分承知しています。 具体的な質問ですが、仏教では産まれてきたことは罪なのでしょうか? その罪を償うとしたら何をしたらいいのでしょうか? 寿命をまっとうすることが罪への償いなのであれば、苦痛に耐えられる自信がありません。 また、幸福の追求は義務であり、不幸に甘んじることは怠惰なのでしょうか? 今は非常に不幸ですが、それを打破するために動く体力が無く、 それを無理矢理にでも生み出そうとすると、それも不幸に直結します。 最近は産まれてきてごめんなさいという、両親に対する罪悪感で気が狂いそうです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

鬱状態が5年程続いている

高校を卒業してから今まで5年間、ずっと現在進行形で鬱状態です。 去年の10月から今年の5月まで少しでも体調を良くしたく精神科に通っていましたが、言いたいことをあまり言えず、先生も自分にはあまり合わないと思った為現在は通っていません。 高校を卒業してから専門学校や社員としての生活を無理してやっていました。 友達ともあまり会わなくなってしまい、生活するのがつまらなくなってました。 当たり前のことですが、高校卒業後は人生自体を自分で決めていかなければならないので、正直今でもこれからどうやって楽しんで生きればいいか分からないです。 生き方自体を見失ってます。 今からでも自分自身と生活を変えたいとは思っていますが、5年程の鬱の日々に対して未だに後悔が消えず、全く前向きに行動ができないです。 若い頃の年齢を無駄に過ごしてしまったと思っています。 高校を卒業してから、一年一年も早く過ぎていくと感じていて怖いです。 趣味も幾つかありますが、この鬱のせいで心から楽しむことが出来ません。 楽しい人生にしたいのですが、私はどういう気持ちでこれから生きていけばいいのでしょうか。 出来ればこの後悔を消し、少しでも前向きに生活し自分自身にも自信を持ちたいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ