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人を怨んでしまう気持ちが消えない

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有り難し有り難し 28

私は、32歳男性です。

普段は人を怨むなどと言う気持ちは全くありません。
むしろ今の人生があるのは沢山の皆さんに支えられた御蔭だと思っています。

ただ時々、ある特定の人物一人を憎んで怨んでしまいます。

この方にはとても酷い事をされました。
しかし感謝している部分もあり、今の自分があるのはこの方の御蔭だとも思っています。

時々自分の中に芽生える、邪念?
とでも言うのでしょうか?

こういう気持ちを抑えたり気持ちを整理する時には、どのような考え方や行動を行なっていますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

常に保身が人間のサガ。保身に聖なる欲をプラスしましょう。

本当はその人に悪く言われたことは終わっているはずです。
イイコトをしてもらったことも終わっております。
ではいいこと悪いこととどっちが多いか。
その答えはどうでもいいですが、それを「やっているところ」はいつ・どこで・誰が気にしたり考えているのでしょうか。
おそらくはあなたがあなたのアタマの中で毎回毎回いつも❝新たに❞。
ここで大事なのは、いつも「今」やっていると気づくことです。
過去の事なのにそれを取り扱うのは今なのだ、ということを🐭ネズミ年だけにチュー意してみましょう。

そうして正月早々去年のことに頭を使ってしまっている俺ってなんて悲しいんだろう、なんて人生無駄にしているんだろうとその上司に代わって自分にチュー意しましょう。🐁
そして新年早々、ご祈願としてこのショーモナな自分の後ろ向き思考や悪い処探しに目が向かってしまう悲しい幸せになれない思考を年の改まりとともに改めようと神社仏閣で祈願・誓願してきましょう。

人間には自分を守ろうとする働きがあります。
その働きは悪いものではありませんが悪く用いることが悪いことなのです。
罪があってもそれをエゴで隠して除夜の鐘と共にGONEして日本中から総ツッコミをされてしまう人もいます。
人間には保身の心や自分を守ろうとする心やエネルギーがありますが、菩提心や宗教心、人間性を向上させる心の無い人はさまよい続けるのです。
成仏に向かわない、心が晴れやかにならない、モヤモヤが続いていくというのは実はこの心が不足しているからでもあるのです。
人間性を向上させる心を仏教では菩提心と申します。
この心を自分の保身にケミストリーさせることで人間は持ち前の人間性がより高まります。保身の中の最高級は自分も世界も救うこと。だから仏の教えや信仰心は大切なのです。
いくら保身と言っても悪事を働いた人が保身のチカラで罪を逃れればそれは人間としてもアウト。
自分を守ろうとする力が❝悪く❞働いてしまっている自分に目を向けてみましょう。
その上司を嫌な存在だと思い続ければ一人で居る時も本に問居る時も今後も都合が悪くなるでしょう。
問題なのはその人自体が問題というよりも、その人に対する自分の思い方が問題ということなのです。
保身に菩提心をプラスしましょう。
自分の人間性を向上させることを選択することで自ずから恨みも憎しみも消えるはずです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

それは本当に憎み怨みでしょうか

 あなたはそれは憎み怨みでは無くて、その人に過ちを正してほしいという希望からきていると思います。自分の思いをその人にぶつけられない自分の弱さを恨んでいるのではないでしょうか?
 本当にその人の為を思うなら、自分の思いをはっきり伝えるべきです。できないなら、その人がどんな状況に落ちてもあなたは味方いるべきです。社会で生きていくうえでどうしても人を傷つけないと自分の身が危うい場面も出てくるでしょう。皆がWIN WIN の関係を築いていくのは難しいものです。あなたもいつか人に恨まれることもあると思います。又は逆恨みされることもあると思います。ベストな回答は誰も教えてくれません。あるのは人を傷つけてしまったときどう行動するかです。自分で傷つかなかった時にどれだけその事を伝えられる仲間がいるかです。過ちを懺悔できるか?過ちをした人を許すという気持ちをどれだけ持てるか?ノーサイドになれるか?常に自分に置き換えてみるしかありません。
 このように色々と考えるのは本来我々には「明珠(みょうじゅ)」が備わっているのです。でも人は環境や立場、状況によって忘れてしまっているのです。それを何とかして呼び起こすことが必要なのですが、我々僧侶はそのために修行していると言っても過言ではありません。それはあなたにも出来ます。まずは状況を整理して相手のことを中立に見ましょう。

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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

追記させてもらいます。
その方から「私があなたの面倒をみて、3億の売上を出す会社を作ります。」と私と私の家族に対してお話をしました。

そこから本当に沢山の事や辛い事がいっぱいありました。
でも上手くいかず3年で潰れてしまいました。
そして最終的にはその方に捨てられました。

その方は私に「責任は取る」と何度も言って下さったのに、結局なんの責任も取らず捨てられました。

その方に対して、私も言いたい事が沢山あります。しかし、その方がヤクザみたいに怖すぎて何も言えません。
その事が、もしかしたら時々出てくる怨みや妬みになっているのかもしれないですね。

当時私は、その方の事と会社が潰れた事もあり中等度の鬱病も発症しました。

しかし、自分の中で整理が出来て今では普通に生活する事が出来ています。(精神科病院も卒業しました)

ただ時々出てくる自分の怨みの感情の整理をつけたかっただけでした。

コメントに書いて頂いた内容は、確かにそうですね。

私がその方に言えない悔しさから気ているのもかもしれないですね。

ありがとうございます。

そんな事考えず、毎日笑って過ごしていきます。

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