助けたい子
幼い頃近所に住んでいた「オバァ」曰く私は人間以外との縁が深いらしく、先日質問させていただいた鏡の中の女の子しかり不思議なものを沢山見てきました。
中でも獣との縁が深いのか良く行く先々で動物の遺体や助けを求める動物達に出会います。
例えばこれが交通事故の犠牲になった動物だけなら偶然だと言い切られてしまいますが正に呼ばれるんです。
ふっと行かなくちゃ、と浮かぶとそこに行き動物たちに出会います。
山で木につながり捨てられ、餓えの中で一緒に捨てられた犬の遺体を食べる犬や虐待される猫など出会った数は数え切れません。
亡くなってしまった子は埋葬し、生きている子は保護団体にあずけたり、看取ったりしています。
ある意味人間より近い存在として動物を感じていて、彼らを害されると頭に血が上ってしまいます。
「オバァ」は動物の霊は理性がないので悪霊になってしまった子に取り憑かれた時に助けにくいし危険だからと関わるのを辞めろと言ってきます。
でも私が見つける子の殆どは人間のせいで苦しんだり、死んでいったりしているのです
助かる子を見捨てて、自分の安全に走るのは卑怯なことでは無いでしょうか?
悲痛な声が聞こえて、今まで助けた子達にもなぜ助けないの?私たちは助けたのにと責められている気もします
動物も、きちんと、お祈りしたら天国に行けるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿弥陀仏にお任せします
あなたの行いはとても良い事です。
しかし仏教的には天国には行きません。
仏教にはお釈迦様のいろいろな教えがあり、そして、その教えの受け止め方もいろいろあります。
その中で私としては、
人は命が尽きると極楽浄土という国に行く、という教えを大切にしています。
極楽浄土というのはキリスト教でいう天国ではありません。
極楽浄土に行くには、極楽浄土を作った仏様に、極楽浄土に連れて行ってくださいと、お願いしなければなりません。
仏様の名前は阿弥陀といいます。
南無阿弥陀仏と言えば、その仏様にお願いしたことになります。
しかし、動物は南無阿弥陀仏と唱えることができません。
ですから動物は極楽浄土には行かず、輪廻転生して、他の物あるいは生き物に生まれ変わります。
その為、動物を供養する時は通常は、どうか次は人間生まれ変わりますように、と阿弥陀仏にお願いします。
あなたが埋葬した動物は、いつかどこかで人間に生まれ変わっているかもしれません。
また、ペットの場合は長い間飼い主と共に暮らし、家族同然にしてきたので、亡くなって供養する時は、
どうか、ペットの望みも考慮して良き方向に導いてあげてください、と阿弥陀仏にお願いします。(私の場合です)
もしペットが人間に生まれ変わりたいと望めば人間に、もしペットが極楽浄土に行き再び飼い主と共に過ごしたいと望めば極楽浄土に、阿弥陀仏はペットの気持ちも考慮してきっと良い方向に導いてくれると信じています。
質問者からのお礼
丁寧な回答有り難うございます。
いつかどこかで人間に生まれ変わって…という下りで今までに体験した二つの不思議な出来事を思い出しました。
一つは旅行先で突然見ず知らずの子供に抱きつかれて「ありがとう、やっと言えた」と言われ、どこかで会ったか尋ねると「ずっと前、ずっとずっと前に覚えてないけど覚えてるよ。」と意味深に言われたこと。
もう一つは似たような体験ですがペットショップでオウムが逃げ出した瞬間に立ち会ってしまったんですけど、その時に「アリガトーアリガトーアエタアエタ!!」と肩に止まりながら繰り返し言われたことで店員さんもオウムは来たばかりで人にもあまり慣れていないのに不思議だね
と言っていました
今思うととても縁を感じます。
素敵な縁を気付かせてくれて有り難うございます。
合掌
丁寧な回答有り難うございます。
いつかどこかで人間に生まれ変わって…という下りで今までに体験した二つの不思議な出来事を思い出しました。
一つは旅行先で突然見ず知らずの子供に抱きつかれて「ありがとう、やっと言えた」と言われ、どこかで会ったか尋ねると「ずっと前、ずっとずっと前に覚えてないけど覚えてるよ。」と意味深に言われたこと。
もう一つは似たような体験ですがペットショップでオウムが逃げ出した瞬間に立ち会ってしまったんですけど、その時に「アリガトーアリガトーアエタアエタ!!」と肩に止まりながら繰り返し言われたことで店員さんもオウムは来たばかりで人にもあまり慣れていないのに不思議だね
と言っていました
今思うととても縁を感じます。
素敵な縁を気付かせてくれて有り難うございます。
合掌