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セックスレスで別れて良かったのでしょうか

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高校生の頃から10年付き合い、結婚を考えていた彼氏がいました。

昔から何をするのも一緒で、心から大切な存在でしたが、傍にいすぎて男性として見ることが出来なくなり、セックスレスに陥ってしまいました。

2年間のレスが続いて、何度も2人で話し合い解決を試みましたが、どうしても出来ず、彼からの求めに応えられない申し訳無さで、私から別れを彼に伝えました。

彼はそれでもいいから結婚したいと言ってくれましたが、セックスが出来ないまま夫婦になることは、子供が欲しいことや将来の不倫に対して不安が大きく、
結婚は出来ないと私は思いました。

実際付き合っている間に、最悪なことだとは分かっていながら、性感情となかなか会えない寂しさを紛らわすために他の男性と一線を越えたこともありました。

ですが、別れてからは毎日彼を傷つけた罪悪感、彼のいない虚無感、レスに陥ってしまった自分を責め続け涙が止まりません。

彼との思い出を振り返っても、嫌いなところは無く、良い所を思い出すばかりで、大好きな人で、

すごく優しく私のことも家族のことも大切にしてくれて、結婚したいとずっと思っていましたが、レスだけが原因で別れを告げてしまいこれで良かったのか後悔する日々です。

新しい恋愛をしようと試みましたが、長く付き合った彼と比べてしまい、思い出してしまい、自分を苦しめるばかりです。

セックスレスでも彼と関係修復を考えた方が良いのでしょうか。

どうかアドバイスをいただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

家庭という場がそもそも「何」かを考えて結論を出しましょう。

とにかく「家庭的」であるかどうか。
これを自分自身に問いかけてみることで自ずから良い答えが導かれてくるものと思います。
恋愛、恋愛といいましても、月9やドラマのような大恋愛は燃える、モエる、萌えるものでしょうが、世の中には沢山の恋愛物語や映画やドラマが人の数だけ存在するわけですが、どんな大恋愛をいたしましても、その行き先はハッキリ申し上げますと👴じいさま👵ばあさまなのです。
いずれ、年を重ねて互いに別のシモの世話もしなければならん関係であっても当たり前にやってあげられるのが愛であり、冒頭に申し上げた「家庭的であるかどうか」ということなのです。
そこまで50年先まで見通した芯の通った精神こそが恋愛の❝愛❞なのではないでしょうか。
♂元気で精力的な彼という条件やセックスレスになれば冷めてしまうというのも彼の立場としたらホントは寂しいのではないでしょうか。
ホントはそっちではないと思うのです。
その前に支えてほしい、やさしくしてほしい、弱っている部分があるけど弱みを見せられない関係になっているとか、素直になれない関係になっていることの方が本当のセックスレスの問題ではないのかということです。
あならに愛があればそういう深い所の追求ができるはずなのです。
セックスレスというのは表向きの理由なのかもしれません。
世の中の恋愛の現実は結婚するまではものすごい勢い♡なのですが、いざ現実・家庭に入るとこのhasunohaサイトで多数の相談が寄せられておりますように💀想定外な現実!が待ち受けているのが現実なのです。👿
それは、実際にその時になってみないと対処のしようがありませんが、根本にあるのは人間の不平不満や無知・愚痴がベースになっております。
そこで思い出していただきたいのが、あなたのお悩みも実は不平不満や愚痴に相当するということです。
仮にセックスレスであっても彼との関係がうまくいかないということであっても根本にあるのは何か。
愛ではないものがアタシの心の王座に鎮座してるんじゃねーのかっちゅー自分自身への問い合わせが必要なのです。
おそらくどっちも自分が先立ってしまい相手のことを受け止められていないので話し合うべきことをキチンと話をそらさず話すということです。
何故セックスレスになっていったのかよりも、何故心の受け止め合いがきちんとできる関係ではなくなってしまったのか。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ご質問ありがとうございます。
それにしてもレスでもいいから結婚したいと言ってくれるほどあなたを大切に思ってくれる彼のような人はなかなか世間にはいないでしょうね。
また、一緒にいたいのに彼の人生の幸せのために自分から別れを選ぶあなたほど彼を大切に思う人もなかなかいないでしょうね。
まるで「賢者の贈り物」(オー・ヘンリー)のような2人の関係ですね。
私にはレスでもいいから一緒にいて欲しいと言えることほど男らしいことは無いと思いますよ。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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