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悪い方向にばかり考えてしまう

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有り難し有り難し 31

現在大学生です。
将来の自分の姿を悪い方向にばかり考えてしまいます。
例えば、やりたいことがあっても、そのことに関してネットで良い面、悪い面などを調べあげます。そして、結局リスクを考えたり、自分には大した能力がないからと何も行動に移すことができていません。
これからの日本にあたって、今からやろうとしていることは稼げるのか、将来性があるのかといったことばかり考え、調べてばかりになっています。
自分自身の体験としても10年間続けてきた好きなスポーツで大した結果を残せず、離れることになったということも影響しているかもしれません。
このように考えてばかりではダメなことはわかっていますが、自分の性格もあり、なかなか変わることができません。
このような自分を変えるためにはどうすればいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「行動」と「後悔」

こんにちは。亀山純史と申します。

私たちはいつも何かを選択しながら生きています。朝、学校へ登校することも、会社に出勤することも、私たちが選んだ、つまり、私たちが選択した行動です。そして私たちが選んだ行動には後悔はつきものなのです。それは、物事は自分の思い通りにはならないものだからです。なぜ自分の思い通りにならないかと言えば、物事は本質的に私自身のもの(自分の所有物)ではないからです。

一方、もしあなたが泳げるようになりたければ、水の中に入らなければなりません。もちろん、先に言ったように、水の中に入ってみたものの、うまく泳ぐことが出来ず、後悔するかもしれません。しかし一つはっきりしていることは、何時間もプールサイドをウロウロしていても、決して泳げるようにはならないということです。水の中に入ってこそ、泳げるようになるのです。

つまり、私たちが物事をなすとき、「行動」と「後悔」というこの二つのバランスをどうとっていくか、ということが大切でしょう。ですから、リスクを考えて立ち止まることも必要です。ただ、何かを成し遂げたければ、そのために必要な行動に移さなければいけません。

最後に一言申し添えます。仮に行動して後悔しても、それを後悔のみで終わらせないこと、人生の糧にすることが出来れば最高です。物事をマイナスからプラスに変えることが出来る人生を歩んで行きたいですね。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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人生後悔なく

拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。

将来の自分を悪い方向に考えてしまい、うまく行動に移せずにお悩みになっているのですね。
マイナスなことを考えてしまうことは、悪いことではありませんよ。

マイナスなことを想定しても、ちゃんと準備をすればいいのです。

そして一つ知ってほしいことがあります。

「この世界は、何が起こるか分からない世界です。天災や大病や死などがいつやってくるか分からないのです。つまり安全な選択や打算的な選択をしても窮地に追い込まれてしまう可能性があるのです」

そしてどんなことが起こってもやりたい「覚悟」を見出すことができれば、前に進むことができますし、後悔することもないと思います。

そして覚悟を見出すほどのやりたい何かに出会うことができればきっと良い方向に進むと思います。

そしてそんなやりたい何かに出会う為には、自然の美しさを感じて、日々の当たり前な出来事に感謝をしていけば、性格も少しずつ変わっていき、きっと何かみつかると思います。

たった一度の人生を後悔なく生きれるよう応援しています。

また何かありましたら、ご相談お待ちしています。

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有り難し
おきもち

いつでも選択肢はある

 何か、人生の岐路に立っているのでしょうか。それにあたり、予め色々と調べることは良い事だと思います。調べるのも手軽になりましたし。そこでは、色んな先人の経験を見ることができるでしょう。そして、大概のことについては良い面、悪い面共に見つけることができると思います。
 もちろん、過去のあなたの経験も、大切な判断基準です。それ無くしては、人間進歩しませんからね。
 ただ、わかっていて欲しいのは「人生は一方通行だ」ということです。同じような選択肢に見えても、或いは同じ試験を受けるにしても、あなたが以前とは変わっているのです。経験値において、或いは年齢において。
 「過去、そういう道を選び、そういう結果を得た」ということは参考にすべきと思いますが、一方それは、厳密に見れば別のケースです。あなたがその道に入ったとして、同じ結果になるとは限らないのです、いや未定です。
 私たちは僧侶として、多くのお葬式に出ます。同じお経を読み、同じようなお話をしても、結果は毎回異なります。同じお経という「因」でも、その時の「縁」によって結果はことなるのです。納得いく結果になることもあり、行かないこともある。それこそが、私たちが「経験から学ぶ」べきことと存じます。
 一度選んだ道が、困難や辛さに繋がることもあります。その時再び、選択をして良いのです。その後リスクは飲んだ上でしか、進んでいくことはできないと思います。「やらないで後悔」も経験。でもそれに飽きたらなくなったら、一歩進んでみてはどうでしょう。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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「考えすぎる・行動できない」問答一覧

私のせいで、子どもや犬猫が、、

子ども服屋さんで働いています。 レジをしていて、ボタンでとめるタイプのジャケットを、買い物袋に入れようとしたら、ボタンが服から外れてしまっていることに気づきました。 それを見ていた先輩スタッフが、「ボタンが取れやすい商品があるって、他の店舗(同じ会社)から報告があがってるやつ(商品)だ。」と言っていました。 お店の在庫(ボタンがちゃんとついているもの)を代わりに販売するために、「新しいもの(在庫)持ってきて!」と先輩スタッフに言われて、お客さんの前で汚れなどがないかどうか一緒に確認しました。 そのとき、ボタンに指をひっかけて、ボタンがぽろっと取れてしまわないかの確認もしました(お客さんも見ていました。) そのとき先輩スタッフは近くにいませんでした。 あとから気づいたのですが... ボタンをパチパチと付け外しして(一度ボタンを外して、またとめて、を繰り返す)取れやすくないかどうか確認するべきでした。 先輩スタッフに言われて気づきました。 指でボタンをいじってみるだけで、お客さんに売ってしまいました。 「やっぱり(服からボタンが)取れちゃった、不良品なので交換してほしい」って連絡がくるかもしれません。 それだけでも、お客さんに迷惑をかけてしまいますが、わたしが心配なのは、取れたボタンを小さい子どもとか犬猫が口に入れてしまって、窒息したり体調を崩して、最悪亡くなってしまうんじゃないかと、、 こわくて仕方ないです 自業自得ですが、、 気にしすぎなのでしょうか...

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休み方が分からない

つぶやきにも書いたのですが、私は休み方が分かりません。 休む行動をしていると頭の中で様々なことを考えてしまい、頭の中がぐちゃぐちゃになります。 例えば ・今日のミスはもっと確認したら防げたな ・相手に迷惑かけたな、余計な手間かけさせてしまって申し訳ないな ・呆れて物が言えない状態にさせてしまったかもしれない ・相手の態度が素っ気なかったかも、やっぱりミスしたのが良くなかったな。嫌われたかもしれない ・休むってなんだ?心身を休めるにはどうしたらいいんだ? ・好きなことしてるけど、このままでいいのかな ・時間を無駄にしてしまったかもしれない。こうしている間にもできることはあったはず ・でも何かをやろうとは思えない。身体を動かすのも億劫 ・そういえばやらないといけないことあるのに全然動かないな。どうしよう ・生きるのしんどいな ……と、いったように何も考えないということができません。 私はよく周りから「頑張りすぎてる」「真面目なのはいいけど休まないとしんどいよ」とよく言われます。 ですが頑張り過ぎてる自覚がないし、休みもとっているつもりです。美味しいものを食べたり、眠ったり、買い物したりと一般的に言う休むという行為をしてるのですが、どうやら周りから見ると休んでないみたいです。 ぼーっとしても上記のようなことばかり考えてしまいますし、休むということがよく分かりません。 「なにもしない」ができないんです。 休むという概念は一体どんなもので、休まった心身というのはどういった状態なのでしょうか。 私に合った休み方は見つかるのでしょうか。 ご教授のほど、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 22
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ