根に持つ性格を直したいです。
はじめまして。
私は主にいじめなど理不尽を感じるシーンにおいて嫌な気持ちになった出来事を長年忘れられません。そして現在も同様の事があった時、その通り怒りに満ちてしまいます。悲しみより怒りなのです。
その場で当人へはもちろん後から別の人に当たることや攻撃、反撃するなどといったことはしないのですが、かえってそのぐっと堪えたあと自分の中だけで複雑な思考が巡り(相手が正しかったのか、自分はどうすべきだったのか、相手にされたことに傷ついた気持ちや怒り、自分をなだめ、限りなく相手の立場になってみたり、穏やかに納得してみるにはどうしたらいいか)、イライラしたり、自己嫌悪したりを繰り返しては眠れない等といったことが常時あります。
これを自分で「根に持つ性格だ」と思いました。
これでは自分の心が苦しいだけ。
人それぞれ。とらわれない。人生は修行。視野を広くと思い、煩悩を捨て道を正すにはどうすべきかと、はじめは軽い一歩で「根に持つ性格を直すには?」とネットで調べました。
しかし要約すると【性格が自己中心的でプライドが高くしかし悲観的で自分の意見が一番正しいと思っている人だから根に持つ】と記されていることが多く、図星だからなのかもしれませんが、真摯に受け止めることができませんでした。この時点で自分は駄目人間だなと感じたり、「わがままな人間だから根に持つのか」とその通り悲観的気持ちなり自己嫌悪の連鎖から抜けられずいます。
人に自分の価値観を強要しようとは思いません。該当の人物自体に憎しみでの執着はありません。
"その出来事の内容"に納得できない根に持つ部分を前向きに改善したいのですが、お教えいただけませんか。
前述の通りズバっと理論だけが並んでいるのを見ると、まだ今はネガティブで複雑に考えこんでしまうのです。
自己防衛的で申し訳ありません。
気づきを体感したいです。
宜しくお願い致します。
仏様の道はまだ勉強中でうまく言い表せないのですが、七つの大罪でお話すれば、「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」など7つのうち5つもの自覚を感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私も根に持ちます
私も根に持ちます。この性格嫌いになる事もあります。無くすことは無理だと私は悟りました。「別に良いじゃん根に持っても。」から私は始めました。その上でどう生きるかをしてきました。結論は性格は自分の特技、仕事に影響されないという事が分かりました。よく性格のせいで仕事を止める(辞める)人もいますが、周りが何と言おうとも仕事は出来ますし、仕事を邪魔する人は報告すれば対応してもらえる。特技や趣味も好きの者同志が集まる集いに参加したり、SNSを通して情報交換すれば性格なんぞ関係ないね。根気は性格に左右されるかもと思いましたが、苦しくなったら休憩と思い、休ませることも次へ繋がります。「慌てなーい。慌てなーい。一休み 一休み。」
あなたの文章を読む限り、いくらでも他のことで挽回できそうですがね。また、悩みがあったらいつでも投稿してください。
質問者からのお礼
早速の有難いご回答ありがとうございました!
「根に持つ」と向き合って、そして共存して生きていくという前提でこれから更なる精進して参りたいと思います。
大鐵様のおかげで「根に持つことを直す術を追求"しすぎる"」ことはまた更に重く自分を追い込んで苦しい状況を招くことであると気づけました。
『慌てない。一休み。』この言葉を添えて下さってホッと安心する気持ちが生まれました。
本当に有難うございます。