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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

回答数回答 3
有り難し有り難し 60

初めて質問を投稿いたします。
るると申します。

私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。
そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。

数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。
その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。
永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。

前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。
煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。
両方を信じる道もあるのでしょうか。

拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。
何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

有縁の法に依る

ご相談拝読しました。

真宗大谷派(本山:東本願寺)の僧侶です。禅宗と浄土真宗の狭間でお悩みなのですね。とても大切な悩みだと思います。

でもそれはふもとから山の頂上を眺めてどのルートがいいかなあと考えている段階の悩みです。
いざ一歩踏み出した時、様々な現実問題が生じてくることと思います。そうした中で最終的に自分がこの道を選ぶというよりは、私にはこの道しかなかったというものに出遇っていくのではないでしょうか。

ポイントは煩悩です。仏教である限り浄土真宗においても煩悩をけして肯定はしません。煩悩をなくすことが仏教本来の目的です。

しかし、そこで本当にこの私が煩悩をなくしたりコントロールできるという立場に立つのか、それは私の力ではかなわないという立場に立つのかで道が分かれます。

人間の普通の心情に沿うのは前者です。頑張ってる感がありわかりやすいですし、なんとなく達成感や簡単に人にはできないという優越感も生じるかもしれません。

でもそれが本当に現実の苦を目の前にした時に間に合うのか。どうかごまかさずに道を求めてください。

どちらか一つが優れているとか、正しいということではありません。本当にあなた自身が救われる教えが何なのかということです。どんなに優れた教えでもあなたに成り立たないならば絵に描いた餅だからです。

浄土真宗においては浄土真宗以外の教えは全て要門としてある意味で否定されません。そこを必ず一度はくぐり、やがては自力に破れ阿弥陀仏の本願に目覚めるという意味です。

阿弥陀仏が必ず救うといっても、どこかに実際にスーパーマンのような存在の阿弥陀仏がいて、苦しい時に目の前に現れて楽にしてくれるとか、あるいは、生きている間は何もしてくれないけど死んだら極楽に連れて行ってくれるということではありません。

自分の力で何とかできる、救いの根拠を何らかの形で自分に求めるということから解放され、まことのものなど何一つないこの世において、まことになることのないこの私が唯一つ本当にまことであるといただかれる南無阿弥陀仏のお念仏に出遇い、お念仏申す者となることが救いです。

何か特定の楽な状態になるのでなく、あらゆる苦を引き受け立ち上がっていくことができる力を賜るのです。

まずはどちらでもいいから一歩踏み出してみましょう。応援しています。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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「心の安らぎを得られるように…」

同じ仏教であっても、宗派によって解釈の違いは確かにあります。

我々僧侶の立場からすると、『祖師(開祖)の教え』に基づいた捉え方を学び、実践し、その教えの布教に勤めるわけですが…素直に仏教に興味を持たれた方が、そこまで厳格に「宗派の違い」を捉えなくても宜しいのではないでしょうか?

仏教徒であっても、初詣は神社にお詣りし、クリスマスを祝うように、宗派に縛られず、仏様の教えを学ばれることは素晴らしいことだと思います。

広く学ばれて行く中で、時々に応じてご自身と波長の合う学びをなされば宜しいのではないでしょうか?

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有り難し
おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
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 こんにちは。私は曹洞宗の僧侶です。
 曹洞宗に興味をもってくださってありがとうございます。

 私はここの問答でも回答をしてくださっている吉武文法師の回答が好きで、回答に「有り難し」をよく押したり、自分の回答の参考にさせていただいたりしています。それは私の考え方が真宗大谷派に近いとか、吉武師が禅宗の考え方に近い、とかではなく、やはり仏教の大切なところはどの宗派でも同じなんだ、という事だと思います。

 吉武師の回答にもあるとおり、悟りを山の頂上に例えれば、どのルートから登るのが良いかというのが宗派の違いですので、あなたがこれで行きたいという道を歩めば良いと思います。もちろんどちらにも一長一短があると思いますので、どちらの宗派を信仰するにしても、「あっちの教えはこうだった」などと比べる事をせず、また途中で他の宗派に乗り換える事無く進んでいただきたいと思います。

 尚、お父様方の宗派が浄土真宗との事ですので、あなたのご家庭の宗派も浄土真宗では?(浄土真宗のお寺の門徒さんになっているのでは?)もしそうでしたら、現実的な話にはなりますが、やはり菩提のお寺の宗派を信仰された方が、何か疑問があったときに相談に行きやすいのでは、とも思いました。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

私の質問へのお返事誠にありがとうございます。
今私の中では真宗と禅宗の教えが対立するのではなく溶け合っているような状態です。
この度の皆様のお返事から、理詰めで考えて真宗か禅宗どちらか片方に今すぐ決める必要はないというお言葉に安心したと同時に、わたしが迷いながらも辿ってきた道が実は仏様が導いてくれた教えであるということを学びました。
これからも自らの内の煩悩を静かに見つめ、仏様が説いた山の頂上に少しでも近付けるよう生きていきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ