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お空に還った子どもに聞きたい。

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昨年の秋に第一子を出産しました。妊娠していた頃から、いくつもの心疾患を抱えているとこが分かり、お腹の中で亡くなる可能性、産まれてすぐ亡くなる可能性もあると言われていましたが、

エコー越しで手を振り「ぼくはここにいるよ。」と存在を示す姿や主治医からの乳児期に適切な手術を乗り越えれれば生きれるとの言葉を聞き、私たち家族は、育てていく決意を固めました。

トツキトオカ、お腹の中で無事に育ってくれ、やっと会うことができました。

しかし、生まれてから翌週に手術、なかなか身体に血液循環が馴染まず、再度手術と39日間の間に4回の手術をしました。4回目の手術で、少し良くなり経過観察をしていました。翌週に、レントゲンを撮り、改善できる箇所が見つかり、追加で処置を受けようとした日に心不全で亡くなりました。

身体を拭いている時に沢山の頑張った証があり、寝ている状態が長かったので筋肉も硬くなり、沢山頑張らせすぎてしまったと、胸が苦しかったです。

生まれてから生きるために何度も手術を頑張ってもらいましたが、39日間、何本もの点滴、機械に繋がれ、毎日処置してもらう子どもは幸せでしたでしょうか?

ある本で子どもは自分の命の期間、人生をわかった上で、ママとパパを選び、生まれてきてくれると書いてありました。

ひとつの人生を全うした息子は、また、私たちを探して会いにきてくれますでしょうか?

私たちが会いにいくと、のどの奥を鳴らして、挨拶とかではなく、何か必死に伝えようとしてくれていました。思うように動けず、痛みも沢山感じているはずなのに、笑顔をよく浮かべていました。

私たちにどんなメッセージを送っていてくれたのでしょうか?

そして、亡くなった今、まだ、生きる術はあったのだろうかと、調べてしまいます。

ある日は、本当に私たちのもとに生まれてきてくれたのだろうか。夢だったんじゃないかとも思います。

毎日涙があふれます、息子は、哀しむ姿は望んでいないと思いますが、哀しくて仕方ありません。どんな姿であろうと、家族で支えていきたいと思っていました。生きてて欲しかった願うばかりです。

幸せだったか、何を伝えようとしていたのか、また会いにきてくれるのか、教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

姿形を超えて出遇い続ける

ご相談拝読しました。愛する息子様のご命終に哀悼の誠を捧げます。

南無阿弥陀仏

>ひとつの人生を全うした息子

このお言葉の通りなのだと思います。私たちはどこかで短い命はダメで、長い命が良いものであるかのように思い計らってしまいますが、そうではないのですよね。まさにその小さな体で大きな命を全うしていかれたお姿だったのでしょう。

ただ、その悲しみは余りにも大きい…お察しするに余りあります。命の終わりの後は様々な感情が湧いてきます。それは自分で起こす気持ちでなく、起きる気持ち。どんな内容でもいい悪いはありません。悲しい時は悲しいままに、その気持ちを抱きしめてください。

息子さんが何を伝えようとしていたのか、それは他の人がとやかく言える問題ではありません。お母様への息子様のメッセージはお母様しか確かめることができないのです。

それは息子様が生まれ変わってまた会いにくるとか、夢枕に立つとか、なにか超常現象で伝えてくれるとか、けしてそういうことではありません。

どこまでも、その命の終わりという大きな「事実」をもってして、お母様に大切なことを問いかけ、呼び覚まし、はたらきかけ続けてくださるということです。

今の悲しみも苦しみも寂しさも不安も混乱も、言うなればすべて息子様からのメッセージです。
姿形を超えて声も聞けず、触れもできなくとも、声なき声の響きには遇うことができます。

息子様の命は他の誰にも代えのきかない唯一無二のものです。その命を同じようにお母様が今生きています。そしていつか息子様と同じように命を終えてどこかに還っていく日が来ます。

その命を全うするとはどういうことか、息子様はお母様に問いかけてくださっているのです。

「幸せ」とは何か特定の状態・状況ではありません。特定の状態・状況のみが「幸せ」ならばそんなに儚いものはありません。幸せとはそんな脆く儚いものではないのです。いつどんな時でも見出されるものであはずです。

もう姿形を超えて、永遠のはたらきとなった息子様の存在がお母様の命を通してそのことをずっと問いかけてくださると思います。

息子様も頑張りましたが、お母様も、ご家族も皆様本当に頑張りましたね。今はただ手を合わせ、息子様をしのび、湧いてくる気持ちを大切に。

またいつでもここでお気持ちを語ってください。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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心からの想いは必ず伝わっています

初めまして、今日は。

とてもお辛かった事だと存じます。私も大切な家族を失いました。痛みがとても良く伝わっています。心から信頼をし愛した妻を脳腫瘍で看取りました。脳幹部の腫瘍だったので手術は出来ず死を待つのみでした。沢山の機械、管・・意識は無くてもきっと声は届いている!と信じ、沢山話しかけました。余命よりも私や子ども達の為に半年以上も生きてくれました。

灯が消えかかるとき、痛かったね、苦しかったね、もういいよ!頑張ったんだからゆっくり休んで!!と言う言葉が出ました。

人は亡くなったら終わりではないのです。愛した人の心に霊魂が入って共に歩んでくれます。いつか、悲しみから抜け、笑顔になって大丈夫!と思った時、彼岸に旅立ち新たな冒険旅行を歩み始める・・・そのために49日と言うものがあるのだと思っています。此岸(この世)の残る私たち、彼岸(あの世)に旅立つ人。お互いの為にあると思っています。

残された私たちができること・・・それは、笑顔で過ごす事だと思います。彼岸の元にいる方々は、この世にいる私たちが暗い顔をしているよりも、笑顔で暮らす事を願っています。今は決して頑張らす、苦しい時、辛い時は思い切り泣いて悲しんでください。大切な”いのちの時間”です。一杯、涙を流した後は、笑顔に戻って過ごしてください。

沢山、想い出を心のアルバムに刻んでこんな事がしたかっただろうな・・と言う出来なかった事をして、私たちも必ずいつかは彼岸に旅立ちます。その時には、心のアルバムを開いてこんな事があったよ!と抱きしめて上げてください。私も、そう願って、昨日でもない、明日でもない、この今と言う瞬間を前を向いて生きています。

お子さまの為に、心からお祈りをさせて頂きます。

辛い時、いつでもここに来てください。

南無大師遍照金剛

合掌

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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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質問者からのお礼

何度も何度も読み返しました。どの言葉も心に響き、すとんと落ちていきました。息子の存在は愛おしいです。でも、息子のことを言葉に出す事は辛いです。この日々を思い出すのも辛いです。でも、言葉に救われました。お返事頂きありがとうございます。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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