周りより劣っている自分が嫌です
大学に入ってから、自分が周りより劣っているのではないかと悩んでいます。
大学では自らで問題を見つけ出し、考えていくことを求められることが多く、その中で自分の考える力のなさに度々落ち込んでしまうのです。
私の周りには、自分の考えをしっかりと持った発言力のある優秀な人がとても多く、月並みな発言しかできない自分の不甲斐なさが悔しくてたまりません。
いつも自分なりに精一杯で取り組んでいるのに、やっぱり周りよりもできなくて、そんなもどかしさが苦しくて、自分はもとから人より劣っているのではないかと思ってしまいます。もっと努力しなければと思えば思うほど、追い込まれて苦しいです。
人と比べることに意味がないことはわかっています。しかし、先生によって比較され、評価されることを考えると、周りのことを気にせずにはいられません。
こんな気持ちを乗り越え、前向きに努力し続けるにはどうすればよいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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比べるとは・・
ぽん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
比べてしまうことは、ある意味で仕方がありません。
なぜならば、自分というものが何であるのかということは、相対的に比較してでしか判断できないからです。
ここに一本のひもがあると想像して下さい。
何も比べるモノがなければ、それはただの一本のひもでしかありません。
長いも、短いも、太いも細いも、軽いも重たいもありません。
しかし、ただの一本のひもだったものに、他のひもを持ってくると、ただの一本のひもではなくなってしまいます。もう一本のひもと比べて、短いだとか、軽いだとか、細いだとか・・と言ったように評価、価値が生じてしまうことになるのであります。素材まで違うものをたくさん用意すれば、もうキリがないぐらいにあれやこれやと差異が生じることになっしまいます。
しかし、上記のように、差異こそが、それが、あるいは、自分が何ものであるのかを知るためには必要になるのであります。
この世が多様なモノ・コトの関係性で成り立っている以上は、その差異が生じるのは仕方がありません。
むしろ、そのように多様化して差異なるモノ・コトがあるからこそ、私たちも無数の関係性の中で、生かされて生きることができているのであります。
ですので、差異があることは当然となり、相対というものにおいて成り立っている以上は、周りを気にせずに生きられるというものでもないのであります。
つまり、何が言いたいのかと申しますと、周りと比べることは当然として、それにより、自分の価値、立ち位置を正確に知り、それを活かして、自分という存在の長所と短所を見極めて、うまく人生を前へと進められるように、幸せになれるように、調えることが肝要になるのではないかということであります。
足りない部分、短所を何らかで補ったり、また、他の支えや助けをもらったりと、それで、また、自分の長所を活かしてできることがあれば、他のための支えや助けになってあげたりできていければ良いのであります。
私たちは、完璧、完全というものでないため、互いに支え合い、助け合いが大切になるのであります。
あまり深刻に考えられず、お互い様、お陰様という気持ちをお持ち頂ければ有り難いのではないだろうかと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口様
人と比べてしまうことはある意味仕方ない、、確かにその通りかもしれません。それを、自分の足りないところ、良いところを知り、自分を高めるきっかけとするほうが、ただ落ち込んでふさぎ込むよりもよっぽど有意義ですね。
なんだか前が開けたような気持ちになりました。ありがたいお言葉をありがとうございました。