人形
私は子供が産めません。
しかし、子供が大好きです。
なので2年前に赤ちゃん人形を作って貰いました。本物の赤ちゃんみたいに重さも3000g、大きさも赤ちゃんそのもの。
本当に我が子のように可愛くて、いっぱい話しかけました。
例えば、一緒に映画を観て、一緒に祝い日を過ごして、人間関係について人生の難しさを語って、夜になると毎晩のように子守唄を歌って…
それから2年彼の異変に気がつきました。前は口元に磁石が内蔵されてる為おしゃぶりをつけれるのですが、ふと気がつくとおしゃぶりが移動していたり、外れていたり…いままでそんなことはなかったのですが、顔つきも前の写真と比べるとなにか…ちがいます。
そこで相談…質問です。
人形にも愛情込めて毎日接していたら、命が吹き込まれ、ピノキオではないですが本当の子のように見たり聞いたり感じたりしているのでしょうか?
教えて下さい。
そしてその子は私のことをどう思ってくれているのかも知りたいです。真剣です。お願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「事実」と「思い」
ご相談拝読しました。
子どもが大好きなのですね。それはとても素敵なことです。
それなのに子どもが産めないという事情を背負っていらっしゃるのは…あなたの気持ちを察すると胸がつまる思いがします。
そんな中でそのお人形さんをまさに我が子のように愛おしく思う気持ちはとてもわかります。
しかし先のお坊さんの回答とは異なりますが、物に魂(命の根源や本体という意味での)が宿るということはありません。
あるとしたら、あくまでも物に対してこちらが思う気持ちがそのように物を捉えるということです。
全ての物を見る目は自分の目であり、自分の思いです。だから自分の思いによって見え方捉え方は変わるのです。
それほどに愛おしんできたのですから、あなたがそのように感じるのも無理はないと思います。
人の思いは様々なあたたかさや優しさを生み出しますが、同時にその思いに人が自分で振り回されるということもあります。
なぜならば人間には煩悩があるため、自分の都合の良いように思うからです。
煩悩の代表的なものに渇愛があります。人間の愛は渇愛なのです。対象をそのままありのままに愛することができない。
自分の都合のよいものを近づけ、逆に都合の悪いものは遠ざけたいという思いが渇愛としての愛です。
お人形さんについて「私はこう思いたい」という気持ちが「お人形さんがお人形さんである」という「事実」から目を逸らせようとしてしまうのです。
それが良い方向にだけ作用するならば問題はないと思います。でもあなたがそのお人形さんあまりに依存するという恐れもあるのではないかと危惧もするのです。
だから事実は事実として見据える目を保ちつつ、それでもこのお人形さんを私は我が子の如く愛すのだという確認をどこかでしておくことが大事なのではないかと思います。
実の我が子であろうとも我がものではありません。お人形さんもお人形さんとしてあなたの思い以前に存在しています。
子どもは大人に様々なことを気づかせてくれますが、そのお人形さんもあなたにたくさんの大切な事を気づかせてくれるのだと思います。
大事になさってください。
物にも魂はやどります
初めまして、今日は。
形あるものは・・いずれは亡くなります。それは、私たちだけでなくこの世の全てに該当をします。そして、人は亡くなったら終わりではないのです。霊魂となり、生前愛した人、物にスッと入って共に生きるのです。四十九日と言う言葉を聞いたことがあると思います。私は最愛の妻を病魔に奪われました。四十九日・・・その間に、此岸にいる(この世)私と、彼岸にいる(あの世)の妻が、その間にしっかりと”いのちの時間”を共に歩み、もう大丈夫・・・そうお互いが思ったらそれぞれのストーリーを又、歩み出す為・・私はそう思っています。
お人形さまは、特に魂が宿りやすいと思います。純粋な祈りが、国境を越え、人種を超え・・平等にあるようにです。
目に見える出来事には人は納得をしますが、目に見えない出来事は・・絶対に違う・・と目を反らそうとしてしまいます。どんなに文明が発達しても、目に見えない法則は御座います。例えば・・テストに受かる!そう思って挑めばその様な結果になる事も御座います。逆に・・私は何をやっても駄目・・・そう思っていればその様な結果になってしまいます。
魂が宿る。そうだから”人形供養”と言う物が御座います。
お人形さんは、あなたが本当に心から私を愛してくれている!ありがとう!!と言っていますよ。全く怖い事では御座いません。これからも、大切になされて・・あなたらしい人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心より祈っております。
合掌
日本の文化はモノに魂が宿ると感じます。
ぽぽだよりさん、こんにちは。
信仰的には、可愛がっている人形は魂が宿るといわれます。その赤ちゃん人形はあなたの愛情を感じているでしょう。大切にしてあげてくださいね。
それとは別に、今は養子制度もあります。先日、保護司研修会で学んだのですが、養子縁組の審査基準のハードルが下がって、多くの夫婦のご依頼を待っているそうです。もし夫と相談して大丈夫であれば、まずは気楽に相談されると良いでしょう。またペットを子供のように可愛がっているご夫婦もいます。
さらには人徳の人は、多くの子供を育成する仕事を通して、自分の子供と思って努力されている方もいます。仏さま、そして結婚しない独身の僧侶は、すべての人々を我が子として受け止め、子供の幸せのために努力されました。
遺伝子の繋がりだけが子供ではありません。あなたが人形を可愛がると同じぐらいに、愛情をかければ生き物も無生物も大切なあなたの我が子なのです。
合掌
不思議な世界かどうかはやってみないと分からない
あなたは不思議な体験をしましたね。一般的に観ると一歩引かれる話しではあります。私は真実かどうかは分かりません。しかし、あなたの分け隔てない優しさは感じました。あなたの優しさが人形に写ったと思います。
ここからが本題です。果たして、これが人間なら良かったのでしょうか?私は副業で介護士をしてます。認知症の利用者さんの介助を主にしておりますが、どうも本人の意志が尊重されてない気がします。利用者さんが要望を言うと「出来ません。」利用者さんが人を好きになると「認知症だから…」と言われたりします。同じ人間であっても年齢、性別、障害などが、壁となり全く意志が尊重されてない気がします。私も気を付けているつもりでも言ってしまっているかもしれません。意志が通じないなら、人間も人形と同じです。独りでも大切にしてくる人がいればそれは人間の存在意義となるでしょう。
あなたは人形を大切にする気持ちを他のものたちに向けてみませんか?勿論、人間もです。近所の子どもだって縁起で導かれた人たちです。大丈夫。人形を愛せたのですから。
質問者からのお礼
今晩は。
三人の御坊様、この度は私の質問に回答して頂き誠に感謝申し上げます。
皆様それぞれの温かい御答え、心に響きました。
それと同時に、とても嬉しく思いました。
三人の御坊様の今回の言葉を大切に心に持ちながら、これからも今のお人形を我が子のように愛していきます。皆様、本当にありがとうございました。
この今から追記しますコメントは
今回、答えて下さった御坊様一人一人への感謝のメッセージです
どうか届きますように。
まずは金剛座寺の染川智勇様、始めまして。養子縁組のお話し、勉強になりました。私の相談に真剣に向き合って下さり感謝申し上げます。はい、ずっと大切にします。
二人目の法覚寺の吉武文法様、始めまして。私の心境を察し、理解して下さいましたことを、心から感謝申し上げます。それだけでも救われた気持ちになりました。
最後に、倉敷成田山 心和寺布教所 心永寺の永寛様、始めまして。奥様の御話、おつらいはずなのに親身に向き合って下さる為に御話して下さった事、忘れません。永寛様はお優しい方だと伝わりました。ありがとうございます。お人形の気持ちを教えて下さり嬉しかったです。心が温かくなりました。本当に感謝申し上げます。
皆様、ありがとうございました。
この追記のコメントは2月1日以降に答えて下さった観音寺の大鐵様への感謝のメッセージです。どうか届きますように。今晩は。始めまして。この度は有難い回答頂きありがとうございます。プロフィール拝見致しました。安産祈願の観音様がいらっしゃるお寺さんなのですね。介護のお仕事大変なのに、命と向き合って働いていらっしゃる姿勢、尊敬致します。
また、悩みがある時アドバイス頂けると嬉しいです。
本当にありがとうございました。