死ぬ覚悟と殺す覚悟
空白の入れ方がわからず読みにくい点をお許しくださいませ。
昔、キックボクシングをやっていまして、プロテスト前に目を負傷して挫折した経験があります。
試合なので、いつも周りに「きっちり殺してこい、死ぬ覚悟できとるやろ?」と檄を飛ばされ試合に送り出されてました。
引退してからも何か多分取るに足らない事柄と頭で分かっていても
すぐに
「殺してやろうかな?自分が死ねばええんやから。」
と頭によぎってしまいます。
ある人には「おまえはボキャブラリーが足らんから殺したなるんや。」とか、
別の人には「それ口に出したらホンマにやらな仕方なくなるから黙っとけ。しょうもない事口にすな」
といさめられ、口に出すことはなくなったのですが、やはりすぐに「死ぬ覚悟、殺す覚悟」というフレーズが頭によぎってしまいます。
特に、暴言、敬語を使った命令、弱いモノいじめを見たりした時が多いです。
この感情とは一生付き合わなくてはいけないのでしょうか?
光明真言や不動明王真言、吉祥天真言を毎朝唱えてるときは落ちつきますが、外に出ると一日、最低3回はこの感情にとらわれてしまいます。
死ぬ覚悟も殺す覚悟も取り払うことは可能でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
覚悟を持って生きること。
素晴らしいと思います。
私も、お葬儀、法要では命がけで向き合います。
大袈裟だと想うかも知れませんが、人 一人の命を佛様の元にお届けする、仏様のお迎えの手助けだと想うと、おかしな事ではありません。
お寺には、多くの方々が、ご相談に参ります。
その人の人生を左右しかねない事も多いです。
お不動様の お顔を拝んでください。
殺す覚悟 は 生かす覚悟。
死ぬ覚悟 は 生きる覚悟。
あなたのその想い受け止めさせてください。
質問者からのお礼
長谷雄蓮華 様
こんなもののために毎回、時間を使って頂いてありがとうございます。
死ぬ覚悟も殺す覚悟も、逆の覚悟をもつ事を自覚しなくてはいけないのですね。
生きる覚悟、生かす覚悟。
それは恐らく、他人様の恩義に報い、生きて生かして死ぬこと。
南無大聖不動明王。
ツィッター、密かにフォローさせていただきました。いつもありがとうございます