実家の継承と信教・婚姻の自由
私は福岡県の日蓮宗の寺の次女で、今は実家から企業に勤務に行っています。実家の寺は長女の姉が婿養子を貰う予定でしたが、うちの正干与の寺の住職が持ってきた見合いの話を受け、東京の寺に嫁がせることになりました。 よって私に実家の寺の継承の話が回ってきたわけですが、私は継ぐ気もなく、会社員の方と恋愛しているので、僧侶と結婚する気もなく、そろそろ実家を出ていくつもりです。しかし父は3年間したら戻ってこいと言います。そこで思ったのですが、日本国憲法では職業の自由も婚姻の自由も保障されているのに、人々の幸福のために働いている僧侶たるもの(父)が、そのように実娘の意にそぐわない婚姻をさせようとするのは、僧侶としていかがなものだと思われますか?姉も結婚などしたくなく泣いておりました。前時代的にもほどがあるし、うちの寺も檀家が減っており今後経済の保証があるかどうかもわかりません。寺の継承のための親のエゴでしかないように私は思います。実際姉の嫁入りの話も私には秘密裏に行われており話し合いもなにもなく決まりました。反発をすると感謝の意が足りないと言ってきますが、それと継承の話は話が別だと思います。
また、父母は私に「信仰しろ、拝みなさい」と言ってきますが、信仰とはそのように強制されるものではないと思っております。また生まれた家がたまたま寺であったというだけでその寺の宗派の信仰をしなければなりません。これは寺に産まれた場合、信教の自由はないのでしょうか?"改宗は良くない、バチが当たる、絶対に良いことがない"、などとよく言われてきましたが、改宗は本当に良くないことでしょうか。 現在の日本では宗教より法律が上です。私の人権、私の法の下の平等は宗教により制限されている気がします。 他のお正人方のご意見をお伺いすることができればと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自由です。でも・・・
私も日蓮宗ということで参考にはならないのかもしれませんがコメントします。
ご住職のお子様が、全員女の子というお寺は珍しくありません。それぞれ成人され結婚適齢期なると、父親も後継者を望みます。当然のことであり、まずは婿を迎えることで未来の安泰を望みます。
婿を迎えるということは、娘さんからすれば、お寺の庫裡(くり)となるわけで、いわゆるお母様といずれ同じ立場になるということです。
婿と言っても、お坊さんを迎える場合と、好きな彼が結婚を機にお坊さんになるというバターンもあり、意外とこれも多いのです。
いずれにしても、お父様はお寺の将来を考えます。誰も継がないのなら、宗教法人としては家族は全員出ていかねばなりません。もしそうなれば、住職たるお父様が亡くなりお母様が残ってもお寺に住める訳ではありません。当然、お子さんでもある貴女、お姉さんも実家ではなくなります。一応、規則上はそのようになります。
これらを鑑み、ご両親は何とかして、又、檀信徒のことも考えながら、家族の誰かが婿を取るか、出家して継いで欲しいと思うのでしょう。
でも、どうしても寺を継ぐ(婿を迎えるか、貴方が出家するか等で)のが嫌であれば、それはそれで選択肢の一つで選べる権利はありますから自由でいいでしょう。
法律上は、信仰の自由はありますから、好きになさればいいと思います。無理やりお寺を継いでも楽しくありませんし、苦しみばかりでは家族も、檀信徒も救われません。
一つだけ申し上げたいのは、尊き縁があってお寺の子として生まれました。お寺に生まれようとしても叶わない人もいると思います。又、お寺に縁を持ちたいと思っても縁が結べない人もいます。他人のことはどうでもいいかもしれませんが、現実に、貴方は、お寺の子であることは間違いありません。生まれた時から、そのような環境で育ったはずです、少なくても仏壇もなく信仰、宗教が全くない家庭で育った訳ではないと思います。(もしそうでないなら、これは貴方のせいではなく、宗教者としての父親の責任は大きいと思います。)
どのような人生を歩もうとも自由ですが、この機会に、どうしてお寺は嫌なのか、何が嫌なのを考えてもいいのかもしれません。後悔しないために。
~追:お礼に対して~
文字数制限のため、詳しくはここでは書ききれませんので、他の方法で返信したいと思います。連絡待ちます。
お父様の煩悩です
あなたのおっしゃるように、お父様の言われていることは、お父様のエゴ、煩悩による発言です。
もちろん、誰にでも(僧侶にも)煩悩はありますから、お父様の煩悩に対しても慈しみ(憎まない)の心で接してあげる必要がありますが(お父様は憎むべき極悪人というわけではなく、普通の人間なので)、成人したあなたには、自分の人生を自分で選択する権利があります。
結局は、人生に良いとこ取りはありません。
メリット・デメリットを覚悟して、決めるべき時には決める必要があります。
どちらが正解とも言えない場合もあります。
あなたは、仮にお父様が怒鳴ろうとも、冷静さと慈悲の心を忘れないよう注意しつつ、あなたの意見を堂々と言えば良いと思います。
質問者からのお礼
鈴木お上人 ご丁寧なご回答をありがとうございます。なぜ寺がいやなのかということを考えてみると、①親族世襲が当たり前な前時代的思考②休み等が基本なく、定時の仕事でもないため会社員のように仕事とプライベートのONOFFの切り替えができない③業務内容全般(僧侶の妻がしなければならないほぼ家事のような業務)が自分に合わない④住みたい場所に住みたい(実家は田舎なので都会に住みたい)⑤両親と性格が合わない⑥結婚相手が限られる、子供(後継)を産むことを強要される、などです。
大学を卒業し、会社勤めをする前に家の仕事だけをしていた時期もありますが、ずっと家にいて、他人と関わらない・家族との性格が合わない・生活リズムが合わない、などの原因で鬱病に近い症状(不安症・離人症)になり、精神科にも通いました。自分には合わないことを悟り、会社勤めを始めるとそういう症状は緩和されました。
寺を継がなかった場合、私はバチが当たるのでしょうか、後継がいない寺を継がないという選択は仏教でいう罪障となるのでしょうか。実家の寺は女三姉妹の母が継ぎ、父は婿養子です。母の妹は在家に嫁ぎ、50歳で癌で死んだため、「仏飯を食べて生きてきたんだから、寺に嫁がないとバチが当たる・良いことがない」と言ってきます。そのような考え方はこじつけでしかないと思うので甚だ疑問です。仏様は罪ある者たちも救う存在であるはずなのに「バチを当てる」ようなことをするものでしょうか。
お時間ございましたら、再度ご回答いただけますと幸いでございます。