生き物への慈悲 仏壇のこと
自分が飼っている小鳥のエサの残りを、外に生きる野鳥の食糧として庭先に撒いています。
小鳥が集まれば、自然と猫が庭にきてしまいます。カラスも今の時期は食糧が少ない為、時折、隣家の庭にある枝にとまり、餌となるスズメなどを見ているようです。
スズメを守るために野良猫を追い払うのは慈悲なのか、カラスだけにエサを与えないことも人間とカラスとの摩擦を避ける慈悲なのか、ここ数年答えがでません。
人が手を出した時点で、慈悲ではなくなってしまうのでしょうか
どうか、お知恵をお貸しください。
それと、仏壇に線香を上げるとき、ろうそくの灯は燃え尽きるまで一緒に灯す方がいいのでしょうか。浄土真宗の教えでは、仏は線香だけで良いと仰られますが、やはり祖父母にも好物だったお茶や甘味処を呈したいとおもう所存です。
煩悩だらけで、書ききれません・・・。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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慈悲と仏壇
狩桜さま、はじめまして。
慈悲ということについて、「慈」は楽を与えること、「悲」は苦を取り除くことを意味すると、言われます。
大切なことは”全てに対して”という言葉が最初につきます。
つまり全てのものに対して楽を与え、全てのものに対して苦を取り除くことが”慈悲”であると。
何か特定のものに対してだけ優しくすることを慈悲とは言わないのです。
あらゆるものの支えを受けて私たち人間は生かさせていただいております。
小鳥であれカラスであれ猫であれ、何にでも優しく生きたいものですね。
お仏壇の話ですが、私は蝋燭の火を燃え尽きるまで灯すことはおすすめしておりません。なぜなら炎の熱によって燭台の蝋燭を立てる部分が破損しやすくなるからです。
浄土真宗の教えに、お供えは線香だけで良いという教えはありません。生臭物等を供えることはオススメしておりませんが、亡き人の好物をお供えさせていただくことは食への恵みを感謝する尊い行いです。ただし、お供えしたものは必ず自分でいただきましょう。供えっぱなしで腐らせるようなことがあってはいけません。
慈悲は仏様のお心です
慈悲は仏様のお心ですから、狩桜さんが実践する必要はありません。
というよりもできないことですから、慈悲にこだわる必要はありません。
人一倍の愛情を持って特定の生き物を慈しむことが精一杯だと思います。
浄土真宗のお仏壇のお供えは、作法の上で「お餅」「お菓子」「果物」と決まっています。
お仏壇は浄土の世界を具現化したもので、本来お供えは必要ありません。
しかし、何もないとこちら側が寂しいので、せめてコレぐらいは...という気持ちで上記の3つを許してもらっているということになります。
作法の上ではそういうことになっていますが、狩桜さんがその作法を理解の上で紅茶などをお供えしたいと思うのであればどうぞなさってください。
仏様は怒ったりしませんから(^^)
質問者からのお礼
藤範 雅史 さまへ
有難うございます。庭先の方々は、きっとそれぞれ微妙な具合で入れ替わり立ち代わり着ていると、信じ有りたいと思います。これからも、餌撒きは続けても善いのであれば、続けて行こうと思います。
それと、仏壇とろうそくのほうも有難うございます。ろうそく立て部分が、熱で痛みやすくなりますよね。合掌しそののちに、ろうそくの灯も消させていただこうと思います。
仏様は、線香の煙がなによりの御馳走、と、何かで読んだ聞いたことと混同してしまったのでしょうかね。御菓子、お茶、お酒(これは、母方の祖父の好物だったため)は、きちんとこれからも、頂いていこうとおもいます。
ありがとうございました。
釈心誓 さまへ
有難うございます。我が家は、浄土真宗本願寺派です。丁度今日は、父方の祖母の月命日でした。頂いた御菓子などを、お供えはします。普段は、お供えしません(何故なら、お菓子が家にあると食べてしまうのでなるべく、買わないようにしているのです(トホホ)
お仏壇は、極楽浄土を具現化したものなのですね。小さいときから、
「なんで、こんなに金ぴかなんだろう」
と、疑問をいだいていたのもスッキリしました!ありがとうございます!
普段から、拭き清めたほうがよいのでしょうか?疑問が疑問を呼んでしまい、申し訳ありません。