嘘をつくのは悪いことか?
私の実家は寺です。父親が住職で私が副住職です。
寺の庫裏の裏に家がありますが、別居しています。
年末に帰省したのですが、夜行くと言って昼間に行ったのを嘘つき呼ばわりされました。
事前に電話しなかった私も悪いんですが、これはそもそも嘘なんでしょうか?
また父は昼間来られて自分の姿が檀家や役僧に見られるのを極度に嫌がります。
実家に残してきた物は全て引き上げて、お前は実家の寺とは縁を切れとまで言います。
父と母は、寺を出たら離婚するようです。
みんな一人で生きていくんだからお前は親をもう頼るなということだと思います。
親心で今まで17年も名ばかりの副住職のままにしておいてくれて、父親が住職を退くのは3年後だそうです。
その後の生活の不安もありますが、話を元にもどすと、不妄語とは何か?
嘘も方便なのか?
ホラ吹きは悪いことなのか。
必要な嘘もあるのではないか?
色々考えてしまいます。お答えよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「嘘」というより「不正確」
こんにちは。
以前、一度質問に答えました。またご縁がありましたね。
「夜行くと言って昼間に行ったのを嘘つき呼ばわりされました」ということが直接の問題のようですね。私がイメージする親子関係なら、「ただいまー」「おー、早かったなー、まあゆっくりしー」ぐらいがよくある風景かと思います。これが仰るような言葉を掛けられたという事は、これまでの経緯によるものなのでしょう。
上記のような理由で、私はこれを嘘(悪意がないという意味で)だとは思いません。勿論お尋ねのように、嘘をつくことは基本的に悪いことです。しかし、そもそも上記のコミュニケーションは嘘というより「不正確だった」程度のことです。日常の些細なことです。問題の核心は、これまでの経緯がしこりになって、些細で終わるはずのことがこじれてしまっているというところにあるでしょう。
ちなみに「嘘も方便」という言葉は、一般に嘘をつくことが時に物事や人間関係を潤滑にするという意味で用いられています。ただ、仏教的には「方便」は真実に誘引するための仮の手立てという事ですから、ニュアンスのずれがあることをお知らせしておこうと思います。
ご心配のことがあろうかと存じますが、どうぞお体お大事に。
では。