祈願とは何なのでしょうか
私は特定の宗教を信仰していませんが、(努力だけでなく運や縁の要素が強い物事については)神様仏様…と願うことがあります。
これは多くの人が深く考えず自然にしていると思います。
最近hasunohaの問答を少しずつ読むようになり、
仏様とは「心から信じて祈れば願いを叶えてくださる」なんて都合の良いものではなく、欲深くて不安だらけな人間の心を救ってくださる存在なのかな?と考えるようになりました。
お寺では様々な◯◯祈願(安産、健康、良縁、学業成就などなど…)が取り扱われていますが、どのような心で臨めばよいのでしょうか。
単に「◯◯を叶えてください」と願うのではなく、「どんな結果になろうとも安らかでいられるようにお導きください」という感じでしょうか。
そもそも仏教とは、煩悩を制御する教えだと聞いたことがあります。
では、仏様に何かを祈願するとはどういうことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「祈願」と「誓願」
僧侶は、「祈願」。
願主は、「誓願」。
誓願とは、誓いをたてること。
私(願主)は、このような願い(願目)を叶えるため、身を清め、心を清め、こちらに参りました。
これからその願いの成就のために、心から励むことをお誓い致します。
どうか見守って下さい。
…というのが、「誓願」です。
(身を清め、心を清め…)
神社やお寺の入口の所に、手や口を清める水場があるでしょ?
祈願とは、祈りを届けること。
神職や僧侶が、作法に則り儀式を修行し、願主の誓願を神仏にお伝えする。
…というのが、「祈願」です。
「志納料を納めて、ご利益を受ける」という取引のようなものではありません。
願主の実践と神仏の御加護が、感応道交(神仏と願主が相通じる)することを立会人として願うことが、祈願というものです。
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追 記
願主が祈願をする場合があります。
寧ろ、こちらの方が一般的かもしれません。
その場合、「誓い」もたてずに「あーして下さい」「こーして下さい」と、自分の願いだけを神仏に届けようとする。
果たして感応道交しますかねぇ…
一方、僧侶も誓願します
「衆生を度(わた)し、煩悩を断ち、法門を学び、仏道を成しとげん」
阿弥陀様の誓願とは、スケールがぜんぜん違いますけどね…
(^_^;)
祈り・・・
お願いお祈りの仕方について、私のお寺の境内にあるお社に掲げてあるのは、
「願いが叶った時のイメージでお祈りしてください。」
例えば、病気を治してください。では、病気が治るための手段が叶うだけで(これでもすごいですが)本来は、病気も治り元気に活躍している自分のイメージがなければそこまで到達しません。
結婚できますように、と祈っても、それは結婚式を挙げたいだけなのか、パートナーを探したいのか、それとも・・・現実性がなければ実現しません。
祈りとは誓願、宣誓ですから、「わたしはこうなりました」「すべて完成しました」ゆえに、ありがとうございました。感謝となります。
もちろん、さまざまなご祈願に対して、お祈りご祈祷を行いますが、それはその思い、宣誓の後押しをしています。やはり一番は、祈願主(祈る方、願う方)の思いの強さ(信念)ですね。当然、見えない力のご加護や様々な条件が満たされることも、その祈りの中に含まれています。
「祈りは感謝です」なぜなら、すでに満たされているからです。
質問者からのお礼
GALUCHAT 様
ご回答ありがとうございます。
祈願と誓願の区別があることを初めて知りました。
お坊様は我々の誓願を仏様にお伝えくださる方なのですね。
鈴木海祥 様
ご回答ありがとうございます。
具体的なイメージと強い信念が大切なのですね。
夫や子供たち、そして自分のためにお祈りする際はそのようにいたします。