生きてる意味とは
結婚のため関東から地方にきて努力してもずっと友だちができないこと、今までの趣味ができなくなってしまったこと。新しい趣味を開拓するほどの気力がなくなってしまったこと。旦那が趣味のことで不在にしたり友人と遊んだりしていると嫉妬してしまうこと。異動により今まで楽しかった仕事が嫌いになってしまったことなどもあり、自分の生きる意味がわからなくなりふとした瞬間に死にたいと思っていました。最近では常に死にたいと思うようになりました。
結婚して数年たちますが旦那との関係は良好です。彼が死んだら後を追うくらいに私は彼を愛しています。ただ彼は私の生きる意味にはなれません。私の死後彼が悲しむのも困るのも想像はできますが死にたいというこの気持ちが静まることがありません。
子どもの一人でもいたらいいのでしょうが精神的に未熟な私が人を育てることが恐ろしいのと子どもが欲しいと思えないのです。
こんな私の生きる意味とはなんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「心の支え」
質問拝読致しました。
あなたの言う『生きる意味』ってのは、「(生きるための)心の支え」ってことですよね?
関東にお住まいだった時は、
友人、趣味、仕事…居心地の良い自分の居場所があったので、それらを「心の支え」として生きていた。
転居して身の回りの環境が大きく変わり、今までの居場所がなくなってしまった。
唯一の居場所は旦那さんくらいなのに、旦那さんにはあなた以外にも居場所があるので、あなたにとっては「充分な心の支え」とは言えない。
…こんな解釈で宜しいでしょうか?
私たちは、「心の支え」を外(自分以外のもの)に求めてしまいがちです。
しかし、外のものというのは、常にうつろうので、失いやすいものです。
『諸行無常』ってヤツです。
この際ですから、「心の支え」を外ではなく、内(ご自身)に求めてみたらどうでしょうか?
諸行無常は、この世の真理ではありますが、『いのちの火』が消えるその時まで…最期まで裏切らずに一緒にいるのは、あなた自身です。
今まで外に向けてばかりだった矢印を、内に向けてみる…
今まで気づかなかった発見が、たくさんあると思いますょ。
生きている答えは必ずあらわれます。
初めまして、今日は。
心からの不安を拝見させて頂きました。
私も以前、様々な出来事があり一度はその出来事に耐え切れなくなり自ら命を絶とうとしました。結果、より苦しみ自分がどれだけ事の重大な事をしたのか・・突き付けられました。
宿命と言って生まれた日や時間は変えれませんが、運命や人生はいくらでも変えられます。ご結婚をされて、家庭がありとても恵まれていますよね。人は目の前にある事の大切さや有難みを忘れてしまい”当たり前”と思いがちですが、当たり前という事はないと思っています。
明日が訪れる事、明日の命は誰も保障はされていませんですが、訪れていない出来事を考えれば、それが不安にも、心配にもなってしまうのです。私たちは、過去や未来でない、今と言うこの瞬間を生きています。そして人生とは長い冒険旅行です。荒れた海があったり、険しい岩山がありそれを乗り越えると・・穏やかな太陽が輝く海、鳥たちのさえずる穏やかな緑の草原が現れるのと一緒です。苦しみや辛さが多い中で、ひょっこり”仕合せ”が現れるのは、有り難みを忘れないようにするためだと思います。
時が移り行くように、今抱えている問題も留まらす動き出します。無理にお友達を作ろう、無理にこうしようとはしないで、今は自分や旦那さまとの時間を大切に過ごしませんか?枠にはまらず、心をとらわれずに。あなたはあなたらしくです。
新しい住まいの周りの探検、こんなお店があったのか・・こんな美味しそうなベーカリーがあったのか・・など、楽しみ方は沢山あります。そうしている内に自然とお友達が現れたりもします。別れがあるから新たな出会いがあります。そして、テーブルの前の椅子に座っていても何も始まりません。ちょっとの勇気と行動で、未来が開けて来ます。
趣味も、人生も、全てに当てはまる”ほどほど”が丁度いいのです。あなたにはあなたの素晴らしさ、良さが必ず一つはあります。心をリラックスさせて充電を上手にしてこの奇跡という今日をあなたらしく笑顔で過ごして見てください。私が今、色々な答えが時空を超えて現れています。その通りに必ず生きる意味が分かる時が来ます。結果を急がずに、あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように心からお祈り致しております。
合掌