死にたいと思い続けています。
こんばんは。
私は19年前に、長女を不慮の事故で亡くしました。主人とお風呂に入っていて、目を離したのか、その一瞬で溺れてしまったのです。1歳になったばかりのとても可愛い時期でした。
私は娘の死を受け止められずらにいました。お葬式の日に泣いてばかりいました。そんな私に主人の親戚達が言いました。
泣いていたら、主人を責めてるみたい。
誰も悪くない、事故なんだ。運命なんだ。
泣くのはやめなさいと。
運命?こんな可愛い小さなこの子が死んでしまうのが運命?私は泣き喚いて叫びたかったのですが、できませんでした。
暗く閉ざした部屋で、泣きながら死にたいと思っていましたが、私には4歳の長男も亡くした長女と双子の次男もいて、この子達の為にも頑張る、頑張らなきゃと前を向いたつもりでした。
次男の1歳半検診の日に話しをした、保健婦さんに「ちょっと心が疲れているようだし、頑張り過ぎてるみたい。気持ちを押し込めてるでしょ?」と言われ、専門医に主人と行くといいとアドバイスをして頂きました。
私は、勇気を出して長女を亡くした日から自分の心が辛いって叫んでいる。無理して頑張っている。本当は、あなたのせいで、あなたが目を離したからって責めている。何であの子が死んで私が生きているのかわかない。私も本当は死にたいの。
今後の為にも一緒に受診して欲しいって話しました。答えは無理でした。そんな時間はないと言われました。行きたいなら1人で行ってと。それから、19年間私は心の奥底で主人を責めているのです。そんな自分が嫌で嫌で、その更に上から自分を責めて貶しているのです。死にたい気持ちで心が溢れているのです。時々、そんな自分が崩れて、過呼吸を起こしたり、死にたいと口にしたりするのです。そんな私を主人や子供達は面倒くさそうに、遠くからみているのです。
生きるってなんだろう?19年も経つのに、心が前に向かない私は家族が思うように面倒な人間なんでしょうか?死にたい気持ちが消える日は来るのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛情を糧とする
追伸:お礼メッセージありがとうございました。「お母さん。少し自分を大切にしてみるね。そして笑ってみるね。」の言葉に嬉しく思いました。こちらこそありがとうを伝えたいです。感謝申し上げます。またお困りの時はご相談ください。再礼
ゆきりん 様 相談ありがとうございます。
そうですか、お子様を亡くされてから、辛いし、ご主人を責めたいのに、心に蓋をしたままなんですね。
ゆきりんさん。貴女の中にある1歳のお子様は、何て言ってますか?あたたかな、優しい笑顔の1歳のお子様のお母様は、貴女だけです。
貴女がお母様として、供養という愛を届けてあげないと、泣き顔になります。
貴女の中にある、お子様を、お乳をあげたお子様を、何の穢れもないお子様を優しくしてあげてください。愛情を向けてあげてください。
その為には、ゆきりんさんは、自分に思いやりを向けて、自分に愛情を向けて、自分に優しくして、身心ともに健やかになっていかなければいけないと思います。
貴女がどれだけ愛情をお子様に向けたは、もうこれまでの辛い思いで充分わかりますし、お子様に届いています。貴女の愛情をいただいたお子様は、願っています。
「お母さん、自分を癒してね。それは私が嬉しいことだから」と。
死にたいは、生きたいの裏返し、だからこそ、愛情を、慈しみを、自分に向けることを糧としてください。
一礼
質問者からのお礼
忙しい中お返事を頂きありがとうございました。
心の奥底から、涙が溢れてきました。
それは、不思議な涙で…。何かあたたかくも感じました。
自分を大切にすることがあの子にとって嬉しくあるなら…。私は、少しずつ自分を許し主人を許して行こう。
そんなふうに思う事ができました。
死にたいは生きたいの裏返し…。私はずっと生きたい!生きたい!と叫んでいたんですね。
あの子に手を合わせました。
「お母さん。少し自分を大切にしてみるね。そして笑ってみるね。」と、私の心の中のあの子もニッコリしたように思いました。ありがとうございました。