仏教徒という責任が重いです。
いつもお世話になっております。
私は極端なチキンです。周りが
怖くて仕方ありません。その反動で、
時折攻撃性が高くなってしまうことも
あります。攻撃性は様々な皆さんの
ご支援の元抑えられています。
油断すると出てしまいますが‥
(勧誘員さんをからかったり等)
ですが、そんな自分に強い劣等感
を感じています。
自分は仏様の娘である、と思って
日々生活しておりますが、その責任
に押し潰されそうになる時が
増えました。
私は不動明王を父、阿弥陀仏を
母と仰いで暮らしています。
ですが私はあまりにも両親に似て
いません。恐怖のあまり、人が通っ
たり視線を感じれば身構えます。
これのどこが「不動」なので
しょうか?
こればかりは宗教に疎い支援者
はわからないと思います。
先生方のご意見が聞きたいです。
よろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【汝是凡夫】
"これのどこが「不動」なのでしょうか?"
心配しないで。
あなたは、決して不動明王や阿弥陀仏の血を引き、特殊な能力を持つ、特殊な地位にある、特殊な存在…ではない。
あなたは普通の人間。
欲も多く、瞋り腹だちそねみねたむ心がいっぱいで途切れることがなく、臨終の一念に至るまで、止まらず、消えず、絶えることのない無明や煩悩が身にみちみちている【凡夫】です。よって、あなたは不動明王や阿弥陀仏の娘などではない。だから、お不動さんや阿弥陀さんに似ているわけがない。しかしながら、少なくとも阿弥陀仏を慕い敬う者【言南無者】はすべて【仏弟子】である。つまり、娘ではないが、生徒にはなれるんだ。
教師は教えるのが仕事。生徒は学ぶのが仕事。
仏はあなたを救うのが仕事。あなたは仏に救われるのが仕事。
あなたは仏側の存在ではなく、こちら側の人間です。
すでに彼岸に渡った者ではなく、未だ此岸にいる人間です。
だから、あなたは今は未熟で当たり前なんだ。不動の境地は、今からこれから目指すんだ。
仏教は主義思想から自由を説く教え
仏教徒って責任は別にありません。
なんとか教徒とかっていう縛りが別にあるわけでもありません。
お釈迦さまはそういう主義や思想の縛りから解放されることを説いたものが仏教なのですからあなたはあなたのその「こうでなくてはいけない教徒」から精神的に出家して自由になることが本当の仏教精神です。
お不動さんも阿弥陀さんも禅宗風に説けば(禅宗というものが別にあるわけではありませんが)、自己の本来の様子をいうものです。
外のことが動いて、心の想いが動いてもそれを眺める心が不動なればあらゆる内外の暴風雨、波風に動じない不動心が現れます。それを弾き出すのが坐禅やお念仏、お遍路さんなど仏道修行であると心得て頂ければと思います。
要は自己の無心なるところ。テレビをつければワイドショーがニュースを報じる。
そこに騒がしく人の心をあっちこっちに向かわせるコメンテーターや評論人がいるように我々人間のこころも脳内や体のあるところの半径数メートル以内に起こったことをあれこれ取り扱う脳内司会者・コメンテーターがいるのです。
それが自我だと思ってください。
その自我の評論・コメンテーター思考をSTOPさせる。
すると観察者や人の目を気にする意識が静まるのです。
その無我無心の作用によって引き出される働きを智慧の剣ともいい、不動心ともいいます。さらに深めて大きな慈悲心が引き出されれば自分も他存在も救える弥陀の働きともなり、観音さまの智慧慈悲の働きとなり、お釈迦様の無上菩提、涅槃を引き出す素晴らしい力となります。
世界をご覧ください。
我の強い人、エゴの強い人が事件や自分勝手な犯罪を犯しているだけなのです。
だからこそ、現代人の私たちはそのエゴの愚かしさ、危険性をいち早く悟り(気づき)、自身のエゴや自分を中心としたものの見方や考え方を離れることが誰であってもこの地球上に住む人は必要なのです。
仏教徒という特殊な人間がいるのではありません。
この世界に生まれてよくよく世界を見渡してみれば自ずから仏・覚者の説かれた生き方が誰もが争わず、苦しまずに済む救いの道しるべとなるのです。
どうぞ、もっとライトに考えてみましょう。
心の重たいお荷物も自分がこうしなければ、自分がこうせねば、と思っていた自分の思い込みだったりするものです。
そういう心からも自由になれるのが仏教の正しい学びの姿勢です。
質問者からのお礼
【転落院 先生】
ご回答ありがとうございます。
肩の荷が少し降りた気がします。
失敗が怖くて、ムカムカするたびに
「仏様に申し訳が…」とふさぎ込んで
いたところでした。