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罪の償いについて

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私は、強迫性障害のようで、神様に対する冒涜が浮かんできます。
もちろんそんな事思いたくないのですが、
どうしても出てきてしまいます。

ですが、他の宗教を調べると、神様を冒涜するような罪などは、体を痛めつけたり、
手を切り落としたりしているようで、
それを見ると、とても不安になり、辛いです。

自傷行為について仏教では、どのような考え方なのですか?教えて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

神を冒涜したぐらいでは神は罰することはしません。

信壱さん、こんにちは。

神様を冒涜したらどうしようという強迫観念があるのですね。
信壱さんが神様を冒涜するぐらいで、神様は怒りません。鼻でせせら笑っているレベルです。たとえばプロレスラーに幼稚園児がパンチをしてプロレスラーは怒りますか?神様と信壱さんはそのレベルだと認識してください。

少し心に不安があるといろんなことを考えるので、心を考えさせないことが大切です。一番は運動です。疲れるぐらいスポーツや運動して、家に帰ったら、バタンキュウで寝てしまうぐらい、運動をしてください。そうすると脳は不安を考えられなくなり、それが習慣になると、なくなってきます。

今は、家に閉じこもるのではなく、どんどん外に出てください。がんばって!

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

冒涜する者にこそ愛情を注ぐ

あなたの言葉に合わせて答えます。
立派な宗教者が溢れている時代ですから。調べられた宗教では、冒涜する者はとんでもないと言うのですね。

果たして冒涜する者・罪ある者は他の誰かなのでしょうか。宗教者という立場に腰を下ろしてひとを裁く。その者こそ救いから最も遠いのです。

もし天国や浄土に入れる資格があるのであれば、自分は謗る者とあるという目覚めではないですか。

自傷行為については存じ上げません。
どなたかお願いします。

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社会を上手に生きれない方々とご縁があります。 悩む姿に共感を覚えます。 私も同じような傾向があり一緒に尋ねています。

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