罪の償いについて
私は、強迫性障害のようで、神様に対する冒涜が浮かんできます。
もちろんそんな事思いたくないのですが、
どうしても出てきてしまいます。
ですが、他の宗教を調べると、神様を冒涜するような罪などは、体を痛めつけたり、
手を切り落としたりしているようで、
それを見ると、とても不安になり、辛いです。
自傷行為について仏教では、どのような考え方なのですか?教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神を冒涜したぐらいでは神は罰することはしません。
信壱さん、こんにちは。
神様を冒涜したらどうしようという強迫観念があるのですね。
信壱さんが神様を冒涜するぐらいで、神様は怒りません。鼻でせせら笑っているレベルです。たとえばプロレスラーに幼稚園児がパンチをしてプロレスラーは怒りますか?神様と信壱さんはそのレベルだと認識してください。
少し心に不安があるといろんなことを考えるので、心を考えさせないことが大切です。一番は運動です。疲れるぐらいスポーツや運動して、家に帰ったら、バタンキュウで寝てしまうぐらい、運動をしてください。そうすると脳は不安を考えられなくなり、それが習慣になると、なくなってきます。
今は、家に閉じこもるのではなく、どんどん外に出てください。がんばって!
冒涜する者にこそ愛情を注ぐ
あなたの言葉に合わせて答えます。
立派な宗教者が溢れている時代ですから。調べられた宗教では、冒涜する者はとんでもないと言うのですね。
果たして冒涜する者・罪ある者は他の誰かなのでしょうか。宗教者という立場に腰を下ろしてひとを裁く。その者こそ救いから最も遠いのです。
もし天国や浄土に入れる資格があるのであれば、自分は謗る者とあるという目覚めではないですか。
自傷行為については存じ上げません。
どなたかお願いします。