生きてたくない
他人から誹謗中傷を受けすぎて他人を信じることが出来なくなった。見た目をとやかく言われるために中身を磨くなど何をやっても無駄だという心理状況になった。自分に自信をなくした事で本音を言うこともなくなりひたすら低姿勢で了承しかしない毎日をもう5年過ごしている。自己主張も容姿を伴わないと他人に受け入れられないと思っている。生きているこの世界も他人も変えられない。何をしても嘲笑の対象にされるくらいなら
黙っていよう。他人の意見に合わせようと思って過ごしてきた。でもいつまでたっても根っ子が折れてくれない。完全失望を望んでも心が抵抗する。諦めてくれよ。もう逃げ場は無いし誰も守ってくれない。秘密を打ち明けても誰かに漏らすんだ、皆んな。だからここに書き込んだ。いくらお坊さんでも救済できませんよね?望むことは安楽な死です。そしたらこの世に産んだ親を恨むことも周囲の好奇の目もなくなるでしょ?書き込んだからどうだということは無いんです。ただお坊さんに聴いてもらってこの醜い心を蔑んでほしい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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友よ
"いくらお坊さんでも救済できませんよね?"
はい。残念ながら、お坊さんならずとも誰もあなたを救うことはできません。
【己こそ己の寄るべ 己を置きて 誰に寄るべぞ】『法句経』
あなたの人生には数えきらないほどの登場人物が現れたと思いますが、最後は結局、自分の人生の主役は自分なんです。支え合う仲間に囲まれていたとしても、自分という資源を活かすも殺すも最後の最後は自分次第。
”望むことは安楽な死です”
なるほど。ということは、あなたは大聖釈迦牟尼世尊をはじめ印度西天の論家方、東夏日域の高僧方、そして私こと転落院に至るまで、皆あなたと同じことを望んでいます。この望みそのものは、決して間違ってはいない。
”この醜い心を蔑んでほしい”
蔑む?なんで?
そんなにボロボロになるまで戦ったんだろう?あなたはすでに英雄だ。英雄は尊敬されるんだ。しかし、まだまだ目的地は遠い。これからは、ぜひ我々とともに歩んでいこうじゃないか。