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彼が突然亡くなりました

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有り難し有り難し 23

初めてご相談させていただきます。

約1ヶ月半前に、3年間付き合ってた彼が、突然亡くなりました。

私たちは還暦を過ぎた熟年同士。
私は独身、彼には家庭があったため、そのことを私が知ったのは、亡くなった5日後でした。

彼とは、だいたい月1~2回会って、その間LINEのやりとりは頻繁にしていました。
そうこうしているうちに、ある日、LINEを送っても既読がつかず、翌日も翌々日も同じ。
今までそんなことは一度もなく、電話をかけるのも怖くて心配していたところ、共通の友人から、彼が急に心疾患で亡くなった、との連絡がありました。
最近の彼は、しんどいと、少し元気がなく、気になってました。
それなのに、私は何の力にもなれなかった。

彼が亡くなったなんて、私はまだまだ信じてないし、受け止めることもできません。
今は、しばらく会えない時期なんだと、たまたま連絡がつかないんだと、毎日泣きながらも、自分をごまかして、なんとか過ごしています。
私の一番大切な彼がもういない。悲しくて悲しくて、どうしようもなく辛いです。

仕事をしていても、笑うことができず、他の人とコミュニケーションがとれません。
ただ、私たちの関係を知ってる二人の友人に支えられています。
でも、励まされても、慰められても、友人は彼の代わりにはなりません。

私たち、ほんとに幸せで楽しい二人の時を過ごしていました。これからもずっと、この関係は幸せのまま続くはずでした。

彼に会いたい。彼に触れたい。声を聞きたい。抱き締めてほしい。
一日でも早く彼のところに、会いに行きたい。
今すぐ私も、彼と同じ病気で逝きたい。
夢ではなく、ほんとの彼にいつか会えるでしょうか?
こんな関係でも、私が逝くときに、迎えに来てくれるでしょうか?
今、それが一番の気がかりです。
まだまだ彼とのことを、過去の思い出にはしたくありません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

再会のかたち

はじめまして、ご相談拝読しました。大切な方のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

さて

>夢ではなく、ほんとの彼にいつか会えるでしょうか?

についてですが、「本当の彼に会うには、本当のあなたに会わなければならない」とお答えします。

『仏説阿弥陀経』というお経に【俱会一処】という教えがあります。これは「俱(とも)に一処(いっしょ=ひとつのところ)で会する」、つまり再会できるということです。

このような質問にはこの部分が切り取られて「必ず再会できますよ」と答えられることが多いのですが、実はこの教えには前段があり、そこには「諸上善人と」という言葉があるのです。

つまり、ただ亡き人と会うのでなく、「諸上善人」として会うのですね。「上善人」とはすなわち「善知識」。これは「私に仏法を伝えてくれる人」のことです。

亡き人の命の終わりを通して仏法に遇わせていただく。そこで残された人が「本当の自分」に会う。その時に亡き人が「私にとって仏法を伝えてくれる上善人であった」と見出されるのです。

死んでからではなく、亡き方を縁として手を合わせ、教えを聞くこの今において「上善人」として再会できるのです。

そうは言っても私たちはやはりこれまで通りの姿形として会いたい。そういう理想郷を求める。

浄土はそこに生まれたいと願う人が「皆」漏らさず生まれるところですが、誰かに会いたいと願う私たちにとって「皆」は本当に「皆」になっているのでしょうか?

自分が望む人とだけ会いたい、逆から言えば、会いたくない人もいるのではないでしょうか?

彼の家庭の皆さんはあなたの中の「皆」に入っていますか?

これはそういう差別のないキレイな心になりなさいとい言いたいのではありません。
浄土はどこかにある理想郷ではなく、教えとして今この私たちを目覚めさせてくれる「はたらき」としての場です。

浄土のはたらきにより明らかになるのは浄土など願っていない私たちの姿。自分の思う範囲の人だけの救いを求める私。

そうした世界を穢土(えど)といいます。亡き人を縁として、穢土を作る私が明らかになるとき、その時私たちは上善人としての亡き人に出遇っているのです。

そうして今この時において出遇いつづけながら、亡き後は必ずまた再会できるという物語に身をゆだねていけるのです。

ゆっくりと出遇い直していきましょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

命の時間を大切にお過ごしください

初めまして、お早う御座います。

私も、30代前半で妻を脳腫瘍で見取りました。それから3年後にご縁がありお付き合いし始めた彼女を東日本大震災で失いました。当時はボロボロで日々を後悔と自分自身を追い込む日々を過ごし、自ら命を絶とうとして実行をしました。結果、蘇生されより苦しむ事になりました。

人の命は、スタートとゴールは一緒ですが、この世に生まれて同じスタートラインからそれぞれの人生というストーリーを歩み、ゴールを迎えます。生きる全て誰もが必ず通る道です。

四十九日とは・・愛した人や家族、友人と命の時間を過ごす大切な時だと私は思っております。生前に愛した人の心に魂がスッと入って、共に過ごします。共感をして想いを寄せ合って・・我慢せずに思い切り泣いて悲しんで。お互いが命の時間を過ごして、もう大丈夫・・そう思った時に、それぞれが新たな人生というストーリーを新たに描き歩みだす時間だと、実体験から思うようになりました。

この世は此岸(しがん)といいます。あの世は彼岸(ひがん)といいます。彼岸にいる方々は、私たちが悲しみながら想いを引きずって過ごす姿を望んではいません。思い切り泣いて悲しんだ後は・・笑顔に戻って、過去でもない、未来でもない、この瞬間という今を過ごすことがご供養にもなると思います。

純粋に祈ると、スッとご先祖様も愛した人も、友人も側に来て祈るその姿に微笑んで応えてくれます。

新たに描いた人生という冒険旅行を、あなたらしく過ごしてください。頑張らずに全てに当てはまる”ほどほど”が一番です。趣味やお友達との時間を過ごして、心のアルバムに想い出を刻んでみてください。いつか・・私も、妻や彼女のいる彼岸にたどり着きます。その時に刻んだ心のアルバムを開いて・・成長した子供たちのことや、過ごして来たストーリーを笑顔で伝え、思い切り抱きしめるその日まで自分らしく二度とないこの瞬間を笑顔で過ごそうと心がけています。

決して一人ではありません。目に見えなく感じ取れませんが・・必ず愛した人は心の中で生き続けています。弘法大師さまの”同行二人”のように、あなたを導いてくれるはずです。

苦しくなった時、いつでも私のお寺のメールにメッセージをください。

あなたらしく、人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。心からお祈り致しております。亡き彼様に心から南無大師遍照金剛 合唱

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有り難し
おきもち

皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、悩みを相談し気軽に参拝出来る”心のよりどころ”であって欲しい・・・その願いを叶えさせて頂きました。仏縁を頂き真言宗の小さな手作りのお寺を開山させて頂き4ヶ月が過ぎました。妻を脳腫瘍で看取り、東日本大震災で彼女を失い、父を心筋梗塞で看取り、障がいのある長男と健常児の次男を育てる父子家庭の父、押し寄せるこれでもか!と来る障害。・・どうにかなるさ!と思考を変え、今日に至っております。一切衆生をお救いする事、それは経験させて頂いた出来事があるからこそ、その痛みがわかるからできるのことです。迷わず、負けずぶれず道一筋に、あなたの希望ある光輝く人生を楽しめますように。濃霧も時がたてば天晴の如く見通しが良くなるように人生の羅針盤となり皆様に寄り添い、慈悲の回向の光を届けさせて頂きます。 開かれたお寺と志を忘れないよう挑み続けます。合掌 礼拝

質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございます。
現実には、もう彼には会えないことは、充分にわかってます。でも今はまだ、絶対に会う、と思わずにはいられません。
もしも、いつか会うことができたら、その時は、彼に「何を情けない顔してるんや!」と怒られないようにしないといけませんね。
このような相談させていただく場があり、また話せる友人がいることは、すごく救われています。
ご回答、これからも何回も読み返させていただきます。
本当にありがとうございました。

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