防衛
自分を守るために死を選ぶのもありだと強く強く思うようになりました。
詳しく何々があり、こういう事に苦しんでいるという具体例をあげるのが本来でしょうが、ごめんなさい、いろいろと小さい事がたくさん積み重なった結果で、何をどう書き示したら良いのか分かりかねてしまぃした。
そこで、お坊さんの心の自己防衛法を教えていただけませんか?
また、心は修復可能なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心というものを自らこういうものだと思い誤ることで苦しくなる
あなた自身が他人からこういう人間だ、こういう女だとまるで違うように思われたら苦痛ではないでしょうか。
真実を正しくとらえてくれないことは苦しいでしょう。
あなたの心もそうだと思うことです。
人間というのは9割がたの人が心とか自分というものを誤解しているのです。
どう誤解しているかというと「私がこう考えた」というものを大事にしていることが無自覚の大きな思い違いなのです。
本当の姿をまるで見ないまま推測で扱っていることです。
お釈迦様や仏道を通して自己の本当の姿を明らめられた人たちはみなこの「私がこう考えた」という小さな水槽から自由になって大海で自由に泳ぎ、大空を自由に飛び回れるようになった人たちです。
たとえばあなたが好きな芸能人、嫌いな芸能人がいたとして、その人たちの噂一つでイメージも変わるでしょう。
同じように情報というものは真実をゆがめるものでもあるのです。
先立てているもの、先立てて優先的に脳内で選択・チョイスしているものが「私がこう考えた」ものであると、人間は自分の本当の姿を目にすることができません。
坐禅をする、瞑想をする、仏道修行をするとは、この自分自身をして常に優先している自分が自分が意識=自分ファーストな心を完全にやめてしまい、今来たっていることの授かりの中に考え以前の真実の姿があることを受け止められるようになることです。
色々、思うことは多いと思います。
ですが、思う前の世界があることを知りましょう。
そしてその世界を知ろうとするには考えや思いをツールとして探求しても見つからないことを知り、体感・知覚・感受の頭脳を大事にして自分自身を見つめてみる事です。そうする中でお経に説かれているような世界が開かれてくるのです。
仏教は自分ファーストではなく、自分が考えたことファーストでもなく、まず、そこで出会っていることファーストなのです。
この回答もやりとりも一期一会。二度とない事なのです。
質問者からのお礼
丹下覚元 様
お忙しい中、ご回答をいただきまして有難うございます。
無意識のうちに、脳内でアレやコレやと自分を基準に考えてしまっているから苦しく辛くなる、という事でしょうか。それを、座禅や迷走、仏教を学ぶ事で無になり、ただ五感だけで感じるものオンリーが真である、という事と捉えました。
現代を生きる上では、なかなか難しい事ではございますが、確かにそうだな・・・と思います。「こうでなくては、ならない」。それが社会なので当たり前になりがちです。という考えもまた、脳が勝手に考えてしまっている事ですが。無になり解き放てば、また新たな路が切り開かれるかもしれません。
丹下さんに出会え、ご回答をいただけましたこと、心より感謝しております。
ありがとうございます。