察し
先日友達とケンカ別れしてからポツポツと悩まされています
相手の普段の言動や態度から何を考えているのかは、いくらか予想や想像はつきますが、ああしてほしい。こうしてほしいと言う要求は、言葉にされないと、私は基本的に察するとか意思を汲むとか出来ませんし、逆に察しを求める相手こそ、こちらの意思や事情を察したりしないと感じました
人間関係において、それなりに気を使ったり配慮したりと言ったことは恐らく誰しもが行っていることでしょうが、
察して。意思を汲んで。って言葉は随分と都合が良いなと私は思いましたが
察する事は果たして美徳で、必要不可欠な能力なのでしょうか
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曖昧な感覚。相手がどう受け止めたかにより勝手に評価がつくもの
そうね〜察する、汲み取る、気遣う、慮る、、、特殊能力かもしれないね。
とても曖昧な感覚ですから、相手がどう受け止めたかによって勝手に評価がついちゃう。
あの人は優しいとか、思いやりがあるとかね。
簡単な行いのようで、実は深く難しかったりするよね。それなのに、わかってくれない、見てくれてなかった、考えてくれていない、と人は勝手に怒ったり拗ねたり泣いたりするものです。
相手が納得するまで伝えてこそ、伝わったとなるのでしょうね。
とても、手間がかかるわけです。
あなたの言うように、何か求めるものがあるなら、きちんと相手が理解するまで伝えてこその優しさでしょうし。それで、怒られても〜ってなるよね。
そんな完璧に出来る人間は、そうはいないし。
好きな人なら、嫌でも、その人に我慢して合わせることだってするのが人間。
まぁ〜都合がいいよね。そういうもんだよ。
質問者からのお礼
回答有難うございました
結局察することが出来ないし、私が全部何もかも悪かったってことにした方が丸く収まったんでしょうかね…でも都合の良い友達だったんなら元々本当の意味の友達じゃなかったのかしら、とか…
何だか友達と言う言葉にも猜疑心が沸いてしまいますね