生きるのが辛い
別段大きな理由がある訳ではないのですが、生きるのが辛いです。
これまではなりたい職業や結婚して子供を持つなどの夢や目標といったものがあっため考えませんでしたが、なりたかった職業になったものの、想像していたものと違い退職。大好きな人と結婚し、子供も出来、ふと振り返ってみると、これから先なぜ生きるのかがわかなくなっている自分がいました。
今は幸せか不幸かと言われれば幸せだとも思います。
仕事は好きではありませんが、安定しており、それなりの収入もありますが、
特に他にやりたい仕事がある訳でもなく、後何十年も働かなければいけないという事実やこれから動かなくなってくなっていく身体や将来の老後の生活のことを考えると何が楽しいのかわからず絶望しかありません。
もちろん生きているからこそ楽しいこと(家族での旅行や子供の成長や小さいことで言えば、サッカー観戦や待ち焦がれている映画の公開)があるというのは解ります。ただ、それと天秤にかけてもこれから生き続ける方が辛いです。
妻や子供の事は心から愛していますし、家族のために生きるというのが目的になれば一番良いと思うのですが、そう思うことが出来ず、むしろ家族を悲しませない為に生き続けなければいけないということが、苦しいです。
苦しいので色々な本等で調べたりましたが、概ね「人生は生きる意味などなく、どう生きるか」という言葉か宗教的には「人生は修行なので苦しいもの」という、どう生きるかの目標がなく、苦しいのから生きる意味を感じないのに、そもそも苦しい物だというとても救われる答えではありませんでした。
家族が悲しむので、自殺はしないでおこうと思いますが、何か大きな病気や不足の事故などで死ねれば楽なのになと思って今日も生きています。
こんな私はおかしいのでしょうか?おかしい私に何か楽になれる言葉をください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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輪廻転生から解脱するには
輪廻転生を前提に考える場合、輪廻転生からの解脱を目指す必要があります。
普通に死んでも、別の生きものに生まれ変わってしまうだけなので、苦しみからは逃れられないので。
「なぜ生きるのか」「生きる意味を知りたい」と疑問を持つ人は多いですね。
仏教ではその先を説いています。
「どうやったら生きものであること(輪廻転生)から卒業(解脱)できるのでしょうか」という、問い自体も斬新ですが、ブッダはその答えまで発見しました。
結論は、悟れば生まれかわらない、悟っていない者は死んでも再び生きて苦しむ、です。
ただ単に怠けの煩悩で何もかも面倒になっているだけの場合もありますが、
そうではなく、真剣に「生命の呪縛から解放されたい」と思うなら、悟りを目指して修行が必要です。
学校が嫌な人は、勉強して卒業しなければなりません。
生きるのが嫌な人は、「もう充分生きた」と満足しなければ生きるのを辞められません。
辛い苦しい面倒くさいだけでは、卒業できず留年です。
追記
宝くじで数億円当たって明日お金をもらえるとしても、べつに興味なく今日死ねる、それくらい完全に執着がなくなれば解脱できるかも。
「もっと幸せだったら本当はもっと生きたい」という感じだったら、輪廻してしまいそうですね。
質問者からのお礼
輪廻転生の話しは深く考えたことがなく、参考になりました。
ただもし輪廻転生があるとしたなら、人間に生まれ変わらなければ(例えば植物など)、生きる意味など余計なことを深く考えることもなく、ただ生きるに徹せられそうで楽な気がするので、ますます今の人生は辞めたいと思ってしまします。また、今の人生も辛い苦しい面倒くさいといった気持ちがあることは否めませんが、やりたいことがないため、願誉浄史様の言う「もう充分生きた」とある意味満足している気持ちがあるのですが、生きるのを辞めて良いことには当たらないでしょうか?