四十九日が済んでも気持ちが落ち着かない
お早うございます。
先月末、父の四十九日が終わり、一つの大きな区切りを迎えたはずなのに、どうしても、どんなに頑張っても、父が旅立った悲しみ、淋しさから抜け出せません。
四十九日を迎えて、もう気持ちの整理がつく頃なのに…。未だに夢にまで出て来て、気持ちの整理がつく所か、更に悲しみが増えました。父の生前と比べて、明らかに笑顔が激減しています。テレビを見ていて、「面白い」とは思っていても、笑う事も出来ず、ただ時間だけが過ぎて行きます。
道を行く車を見ていても、「昔お父さんが元気だった頃、車で色んな所に遊びに行ったよね」と思ったり、家の中のあらゆる物を見ては「これを買った日、お父さんと、こんな会話したよね」等々、どうしても父と結び付けてしまいます。
今でもまだ、ふとした瞬間に父が居そうな気がして、私が仕事から帰って来て、玄関を開けたら、そこに座っているんじゃ無いか、また母と些細な事で、言い争っているんじゃ無いか等々、考えるときりが有りません。毎日毎日、溜息ばかりです。
本膳も四十九日までは、初七日に始まり、1週間ごとにしていました。然し父は、煮物や漬物が大好きだったし、それ以前に食べる事が大好きだったので、今月からは毎月、月命日に本膳をたこうかと思うのですが、こんなに悲しいなら、止めといた方が良いのかな?とも思います。
本当に、どうしたら良いか判らず困っています。
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それほど大切なお父さまだったのですね。
節目の法事が済んだから
気持ちの切り替えができるなんて
人間の心はそう割り切れるものではありません。
百ヶ日を「卒哭忌」と呼んで
嘆き悲しむのを卒業する日と
捉えることもありますが
それは絶対的な決まりではなく
泣きたい時はどんどん泣いて良いんです。
いずれ
お父さまを仏さまと思える日が来ます。
そして悲しみが転換して
感謝の気持ちが大きくなったら
落ち着くようになると思います。
想いと寄り添ってください。
初めまして、今日は。
私も、先日・・東日本大震災で失った彼女と命の時間を過ごしました。震災があった年、父も病気で空高く舞いました。そして、30代初めに妻を病気で失いました。大切な人の死を沢山・・乗り越えてきました。
人は亡くなったら終わりではありません。魂が、生前に愛した人の心に入って・・共に過ごします。想いに寄り添って思い切り我慢せずに泣いて・・そしてお互いが、もう大丈夫と思った時に、それぞれが新たなストーリーを描き歩み始めるのが四十九日・・そう私は思っています。あなたの想いは伝わっています。
この世(此岸)にいる人が、悲しみ下を向いたままでは・・あの世(彼岸)にいる方々は望んではいません。そして何よりもご供養と、お互いに新たなストーリーを歩み出す一歩の為にも、焦らずに急がずに・・命の時間を大切に過ごして笑顔を取り戻し日々をあなたらしくお過ごしください。
お仏壇や此岸と彼岸を繋ぐ大切な電話とも思っています。私たちの身体には・・何百年と続くご先祖さまや父母の願いや想いが込められています。そして、過去に生きず、訪れていない未来を考え・・不安や心配になるよりも、二度とないこの瞬間と言う今を過ごして欲しいと願っております。
ご供養にもマニュアルが御座いません。あなたが・・お父さんはこれが好きだったね!と思いましたら、お供えをして上げてください。こんな風に思っているんだろうな・・と、思った時はお父様がそばで微笑んで応えてくれています。
純粋な祈り・・それは、時空を超えます。ご先祖さまも側にスッと表れて、祈る姿を微笑んで応えてくれるのです。彼岸やお盆は、新たな人生を歩みその休憩地点です。元気でいるかい?孫がこんなに大きくなったね・・など、癒されそして・・新たな人生という冒険旅行に再び挑むのです。
ゆっくり、結果を急がずに・・あなたらしく、笑顔をお取り戻して想い出をしっかりと心のアルバムに刻んで歩んで行ってください。笑顔で過ごす事は、ご供養に繋がります。いつか・・私たちも彼岸にたどり着きます。その時に心のアルバムを開き、笑顔で手を取り合って伝えたいと思っています。あなたも、お父様に心のアルバムを開いて伝えられますように・・この瞬間をお過ごしください。
あなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。
お父様に心から・・南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
質問者からのお礼
有難う御座います。
読ませて頂き、本当に涙が出てきます。
父との思い出は、まだ他にも沢山あります。
一つ一つの思い出を大切に、生きて行こうと思います。
有難うございました